内裏塚古墳群・古墳近くに住んでいた絶世の美女・珠名を探して・九条塚・三条塚 | 西村治彦の日記

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日々の出来事を書いています。

 この日は、千葉県富津市にある「内裏塚(だいりづか)古墳群」に出掛けました。同行は紺子さんです。「内裏塚古墳群」には多くの大小の古墳があります。古墳時代の4~6世紀に掛けて造られた「古墳群」です。全部で 分かっているだけで、41基の古墳があります。

 まず、「内裏塚古墳群」を代表する「内裏塚古墳」に行きました。「内裏塚古墳」は、大きな「前方後円墳」です。長さは144メートルあります。私と紺子さんは、「内裏塚古墳」に登って行きました。登ると、古墳上には、「内裏塚古墳」と書かれた石碑が大きく立っていました。ここは「後円部」です。その隣には「珠名の碑」が立っていました。「珠名」は、「内裏塚古墳」の近くに住んでいた「絶世の美女」です。「万葉集」と言う著名な「歌集」に「高橋虫麻呂」が書いています。「珠名」が踊ると、季節を誇る花のように美しかったのです。「珠名」は美しすぎるので、付近の男たちは、「珠名」の後ろを無意識に着いて行ってしまいます。隣の家の男は、妻と別れ、「珠名」に家の鍵を渡したほどです。「珠名の家」の前には 大勢の男たちが屯(たむろ)していました。しかし誰も「珠名」を口説くことが出来ませんでした。当時、「内裏塚古墳」の近くに、絶世の美女が住んでいたとは、地元では誇らしいです。今も昔も、「美女」は素敵で、男たちの憧れの的です。

 この日、「珠名」を紺子さんに演じて貰いました。私は、「珠名」を口説く、近所の男です。

 「内裏塚古墳」で私と紺子さんは、ひと時を過ごしました。

 次に「三条塚古墳」に行きます。すぐ近くにあります。「三条塚古墳」に入ると「石室の石で出来た蓋(ふた)」が見えました。この蓋の下は「石室」になっています。まだ誰も「蓋」を開けていません。大きな石なので、人力では動かせません。

 石室には、人骨とか、装飾品が入っていると思われます。私と紺子さんは、「三条塚古墳」で撮影し、次の古墳に行くことにしました。「三条塚古墳」の脇には「飯野藩の藩校」がありました。しかし現在は無くなっています。

 次は「九条塚古墳」です。「九条塚古墳」は足場が悪くて、中に入れません。次回は「草を刈る道具」を持って、中に入りたいと思いました。外から記念撮影だけしました。

 次は、「三条塚古墳」の隣にある「飯野陣屋跡」に行きました。ここは、江戸時代には「飯野藩の陣屋」になっていました。「陣屋」とは、やや小さい「城」です。「陣屋の藩校」があったのですが、現在はなくなっています。「飯野陣屋」の周囲は「濠」になっていて、現在でも、「濠」で区切りが着いています。

 「陣屋」を出ると、すぐ「亀塚古墳」がありました。「亀の甲羅のような古墳」です。

 その先には、「五目木(どうめき)古墳」がありました。円墳です。古墳には 草木が生えていて、説明を受けなければ「古墳」とは分かりません。目の良い紺子さんは、車で走っていて、すぐに気が付きました。動体視力が良いです。

 最後に「稲荷山古墳」に行きました。「マムシに注意」と書かれています。それで、古墳の中には入らないことにしました。以前 中に入ったことがありますが、足場も悪くて、田圃に落ちないように致しましょうね。

小さな古墳は探すだけで大変です。草木が茂っていると、説明書を見ても、分かりませんね。分かりにくい「古墳」を探して、私と紺子さんは、今日も行きます。

 

 

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