勿来の関・源義家が南下する蝦夷を防いだ・福島県いわき市にあります | 西村治彦の日記

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 この日は、福島県いわき市にある「勿来の関(なこそのせき)」に出掛けました。

「勿来の関(なこそのせき)」は、平安時代以前から、東北の「蝦夷(えみし)」が南下して、常陸以南の地に攻め込んでくるのを防ぐために、設けられた「関」であると言われています。その他、東北の人が、南下して、悪いことをするので、東北の人の南下を防ぐために、作られた、とも言われています。「勿来の関」には、「源義家」が馬に跨った像がありました。「源義家」は、東北地方に、「蝦夷」の征伐に、「勿来の関」を潜って、北上しました。東北の豪族・「清原氏」の力を借りて、長い時間が掛かりましたが、「蝦夷」を征伐しました。9年掛かりました。これを「前九年の役」と呼んでいます。力を貸してくれた「清原氏」には、東北における「絶大な権限」を与えました。「清原氏」は、調子に乗って、「東北」での力を誇示し、絶大なる権限を手に入れ、勢力を拡大しました。その「勢力の拡大」に困った「源義家」と京都の天皇は、逆に「清原氏」を討つことにしました。やはり「東北の豪族・安倍氏」の力を借りて、「清原氏」を討つことが出来ました。この戦いを「後三年の役」と呼んでいます。その「前九年の役」と「後三年の役」で、活躍した「源義家」の像が「勿来の関」にありました。

 私は、「勿来の関」を超えて、中に入って行きました。平安時代の旅人も、この「勿来の関」の街道を歩いて、北に行ったり、南に行ったりしたのでしょう。今と違って、歩いて、かなりの時間掛かって、北や南に行ったのです。

 今は車に乗れば、訳ないです。数時間で、「福島県」を通過出来ます。当時は「馬」に乗って、遠くには行きました。馬は、歩きで、「時速10キロm」ほどなので、現福島県を縦断するには、南北150キロmほどなので、休まず、行っても、15時間程 掛かったでしょう。途中 馬が食事をしたり、水を飲んだりしたら、丸一日~二日掛かります。大変な旅でした。

 「勿来の関」を潜って、撮影して、少し戻ります。戻ったところに「平安時代の休息所」がありました。「吹風殿」と書かれています。平安時代に休息した積りになって、中に入ります。「美しい見事な庭園」でした。 平安時代も、旅人は、「吹風殿」に立ち寄って、食事やお茶を飲んで 休んで行ったのでしょうか?やはり疲れますから、当時から「休憩茶屋」や「旅館」はあったと思います。「吹風殿」のような「素敵な休息所」で、人は、疲れを癒したのでしょう。

 

                                                   

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