石神井城跡は石神井公園の中にある・三宝寺池は生物の宝庫 | 西村治彦の日記

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 この日は、東京都練馬区にある「石神井城跡」に出掛けました。「石神井城跡」は「石神井公園」内にあります。豊島氏の城館であった石神井城跡は、三宝寺池の南にある石神井川の谷との間の台地にあります。鎌倉時代中期~末期頃の築城と考えられ、文明9年(1477年)、豊島勘解由左衛門尉(としまかげゆさえもんのじょう)が城主の時に太田道灌(おおたどうかん)によって攻め落とされました。以後は廃城となりましたが、城の中心部分にあたる内郭の土塁と空堀は今も残っています。

 私と次女は、豊島氏の城館であった「石神井城跡」に入って行きました。石神井城は、鎌倉時代中期~末期頃の築城と考えられ、文明9年(1477年)、豊島勘解由左衛門尉(としまかげゆさえもんのじょう)が城主の時に太田道灌によって攻め落とされました。

 「氷川神社」は全国にありますが、ここは「石神井の氷川さま」と呼ばれ、地元では、歴史ある著名な神社です。

 私と次女は、「氷川神社」の境内を過ぎて、下って行きました。そこには、「石神井城」の「土塁」がありました。随分 大きな「土塁」です。我々が歩いている広い場所は「本丸跡」です。「本丸」を大きな「土塁」で守っていたのです。

 また少し歩いて降ります。やや、本丸は高台になっています。「橋」が見えました。「濠」ですね。「石神井城」は、前の部分が「濠」に囲まれていて、前からは、敵に攻められ難くなっていました。「石神井城の濠」は、現在「石神井公園の三宝寺池」と呼ばれています。「石神井城の濠」の前には「石神井城」の大きな石碑がありました。

 「三宝寺池」は、貴重な動植物が生育していて、「国指定天然記念物」になっています。

 「サギ」がいましたね!「ゴイサギ」です。あちらは「アオサギ」です。

しばし、鳥や植物を楽しみました。

先に進みます。

 その先には「遺跡」がありました。「池淵史跡公園」と呼ばれています。縄文時代の住居跡遺跡なのだそうです。残念なことに、発掘された遺跡は、埋め戻されていました。傍を流れる「石神井川」で魚を獲ったり、水を汲んだり、「縄文時代」の人々が、川の傍に住んでいたことが分かります。

 同行の次女も、この日は、「石神井城」と「遺跡」を見学して、喜んでいました。東京都内にも、多くの城跡があります。

 

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