館山市の鉈切洞穴は縄文時代人の住処です。4000年前に人が住んでいました。 | 西村治彦の日記

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「鉈切洞穴(なたぎりどうけつ)」は、千葉県館山市浜田にある「洞穴」です。この「洞穴」は、縄文時代の今から4000年前に、人が住んでいました。「縄文人」です。縄文時代後期初頭(約4,000年前)を中心とした土器や動物や魚の骨、鹿の角や動物の骨で作られた漁の道具が多数出土しました。調査の結果、魚の種類はわかったもので約50種、漁具は釣針や刺突具、網の錘(おもり)など内容に富んだものでありました。このことから、ここに住んだ縄文人は豊かな海洋資源を獲得するため、多様な漁の方法を身につけ暮らしていたことが判明しました。紀元後2000年しか経っていないのに、その倍の4000年前には、現館山市には、「縄文人」が、洞穴に住んでいました。人間の出現は、今から6万年前です。長い歴史でありますが、人間は6万年前に地球上に出現しました。運よく、現在まで、6万年も、人間が生きて続いています。

 もう、その4000年前の「館山の縄文人」は、かなり考える力を持って、生きていました。

 現館山市の海蝕洞穴には、4000年前の生活の跡がありました。房総半島南端の館山湾周辺には、縄文海進の時、地盤が浸食されてつくられた海食洞穴がいくつか見られます。「鉈切洞穴(なたぎりどうけつ)」は、その一つで、湾に面した洲崎半島中央部の標高25mの海岸段丘にあります。洞穴開口部では高さ4.19m、幅5.85mをそれぞれ最大とし、開口部から最奥部まで36.8mあります。私と同行の松井賀生子と森田勇太は、「鉈切洞穴(なたぎりどうけつ)」に向かって入って行きました。「鉈切洞穴」の前には、「鉈切神社」の拝殿がありました。「鉈切洞穴の縄文人の遺跡」は「神様」なのです。「鉈切神社」から先には 入れませんでした。「洞穴」に入ると、危険であるからでしょう。真っ暗だし、人が隠れているかもしれないし、動物が住んでいるかも知れません。「洞穴」の中を覗いて、「鉈切神社」の拝殿に参拝して帰ることにしました。

 「館山市」の「桜」は満開でした。千葉市よりも かなり気温が高く、住みやすい土地柄です。「遠くに来た!」と言う印象です。

 

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