千葉県芝山町散歩・妙宣寺の日新和尚は鍋かぶり上人・山室姫塚古墳・芝山はにわ道・九十九里浜 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

 この日は、千葉県山武郡芝山町に出掛けました。同行はまっちゃんです。

 山武郡芝山町に、「妙宣寺」と申す寺院があります。 この寺は「枝垂れ桜」で有名です境内一杯、「枝垂れ桜」の古木が立っています。4月になれば、これら「枝垂れ桜」が満開になるでしょう。今回 私が「妙宣寺」に行った時は、まだ、「枝垂れ桜」には早くて、咲いていませんでした。つぼみが膨らんできていました。前回、ここに来た時の「枝垂れ桜」の画像を載せます。

 「妙宣寺」には、「日新」と申す「和尚さん」がおりました。「日新」は、権力者から、指示命令を受けることが大嫌いで、自分の信念を押し通す人でした。時の権力者が、「日新」があまりに、言うことを聞かないので、捕え、考えを変えるために、「真っ赤に焼けた鍋」を頭に被せて、拷問しました。「日新」は なおも それでも「信念」を曲げずに、自分の意見を押し通しました。「鍋」が 日新の頭にこびり着いて、生涯、「鍋」が頭に着いたままの人生を送ったのだそうです。「鍋かぶり日新」と呼ばれたそうです。

「日新和尚」の生き方は、正しいでしょうか?間違っているでしょうか?

 さて、「千葉県芝山町」の隣は、千葉県山武市松尾町です。「松尾町」は「古墳の町」とも呼ばれています。「松尾町」には、千葉県で一番大きな「円墳」があります。「山室姫塚古墳」です。古墳直径64~66mあります。高さが9mです。この付近は「大塚古墳群」と呼ばれ、全部で、16基の古墳があります。私とまっちゃんは、「山室姫塚古墳」に向かいました。山道です。ようやく、車が通れました。「山室姫塚古墳」は、小高い丘の上にありました。足場が悪いのですが、丘の上に上がって行きました。林の中に、円墳の「山室姫塚古墳」がありました。当時の古墳時代人は、このように小高い丘の上に、「大きな古墳」を造って、大変であったでしょう。「山室姫塚古墳」には「周壕」がありました。しかし高台なので、空堀です。空堀を掘って、古墳の土の足しとしました。

 現・松尾町周辺には、古墳時代には、有力な豪族集団が住んでいました。海からは、歩けば、数時間以内でしょう。大陸人が、海から上がって来て、大きな古墳をたくさん造ったと思われます。

 この内陸側には、さらに大きな「前方後円墳」である「殿塚古墳」と「姫塚古墳」があります。4~6世紀に全盛の豪族が集団で住んでいたのです。それにしても、労働力を「古墳造り」に費やし、作物や食料の生産性を落としてでも、「大きな古墳」をたくさん、数えきれないほど造りました。やがて、その子孫たちが、現・千葉県に散らばって行きます。やがて、奈良時代となり、現市原市に「上総の都」を作っていきます。350年ほどの間に、「古墳時代から奈良時代」へと変わっていきます。その時代の変遷を想像しながら、「山室姫塚古墳」を後にしたのでした。

 さて帰りは、「芝山はにわ道」を通って帰ります。「芝山はにわ道」の周囲は、「古墳」だらけです。それらの古墳から出土した「埴輪(はにわ)」の大きなレプリカが、道路の脇にたくさん立っています。

 私とまっちゃんは、「芝山はにわ道」で「埴輪と記念撮影」です。

「芝山町役場」にも立ち寄って、「埴輪」と記念撮影です。「古代」は ロマンがあります。

 

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