おくま山古墳は前方後円墳・東松山市の古墳・三千塚古墳群・川越カントリー内・雷電山古墳 | 西村治彦の日記

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 この日は、埼玉県東松山市に出掛けました。埼玉県にも、「古墳」がたくさんあるのです。東松山市には、まず、「おくま山古墳」がありました。「おくま山」とは、どう言う意味なのか分かりませんでした。「おくま山古墳」は 全長62mの「前方後円墳」です。後円部40m 高さ7.0m 前方部幅20m、高さ1.5mです。馬蹄形の周溝がまわっています。1986年(昭和61年)に周溝の一部で発掘調査が行われ、盾持ち人埴輪4体と円筒埴輪片が検出されているそうです。「おくま山古墳(おくまやまこふん)」は、埼玉県東松山市の柏崎古墳群内にある帆立貝形古墳であります。「柏崎1号墳」とも呼ばれます。1971年(昭和46年)に東松山市指定史跡に指定されています。

 この日は 脇野真由美を同行して、出掛けました。埼玉県の古墳巡りは、新発見でした。

 周囲には 特に特徴のあるものはないので、次に進みます。

 次は 同じく「東松山市」にある「三千塚古墳群」に向かいました。驚いたことに、「三千塚古墳群」は「川越カントリークラブ」の中にありました。「川越」と付いていても、「東松山市」にあります。私も以前は、かなり「ゴルフ」に凝っていたことがあり、懐かしかったです。ここは、ゴルフ場の中の「古墳群」です。プレーしている人々を眺めながら、私は、「三千塚古墳群」の古墳を探しました。大きな石の「三千塚古墳群」の石碑がありました。この石碑の下も「古墳」です。コースの中には、小さな「円墳」が見られます。以前は、250基もの「古墳」があったそうです。ゴルフ場開発の為に、殆どの「古墳」が消滅してしまったそうです。

 現在 一番大きな古墳は「雷電山古墳」です。前方後円墳で、古墳の上には「大雷神社」が建っています。

「雷電山古墳」は、「三千塚古墳群の盟主墳」とされる全長85メートルの「帆立貝形古墳」です。墳丘から埼玉県最古の埴輪が出土しました。古墳時代には この付近に力がある「豪族及びその集団」が住んでいました。4~7世紀のことです。

 このような高い丘の上に、「大きな古墳」を造るとは、凄いです。手作業で土を掘り、それを運んで 山とします。掘った後は「周濠」とします。大きな古墳を造るのは、物凄い手間でした。造る人々は 疲れ果て、自分たちの農作業も出来なくなります。西暦645年に、「中大兄皇子」と「藤原鎌足」が中心地となって、「大化の改新」が行われました。「古墳造営」の禁止です。それ以降は、「古墳造営」が少なくなり、やがて無くなりました。

 「古墳時代」の終焉です。まだ「文字」がなかった時代なので、「古墳の主」が誰だかわからないのです。分かれば、「古墳の主」から「ヤマト政権」の詳細と「卑弥呼」などの正体が分かることでしょう。分からないので 学者さんたちが、懸命に、「古墳時代=飛鳥時代」のことを調べています。

 さて、私は、この後、群馬県高崎事務所に向かったのでした。

 

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