赤塚城址・赤塚ため池公園は城の堀・千葉自胤の城・兵どもが夢の跡 | 西村治彦の日記

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 この日は、東京都板橋区赤塚にある」「赤塚城址」に出掛けました。「赤塚城」は、康正2年(1456年)に市川城(国府台城)から移った千葉自胤(ちば よりたね)によって築城されたと伝えられます。

「赤塚城」は、真北にある荒川の早瀬の渡し場を一望し、また武蔵北部から武蔵南部の下赤塚、江古田に至る鎌倉道(埼玉道)を押さえました。陸運、水運を掌握する要衝でありました。赤塚千葉氏は後北条氏の有力な家臣として活躍しましたが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城になりました。「戦国時代」は武将たちが入り混じって、戦いました。

「どちらに着いたほうが得か」で、入り混じっての戦いでした。「千葉氏」も、「赤塚千葉氏」と「武蔵千葉氏」に分かれました。

最後は、小田原の「北条氏」に着いた「赤塚千葉氏」は、「小田原城の北条氏」が「豊臣秀吉」に敗北し、「北条氏と共に」消滅していきました。「赤塚千葉氏」の「赤塚城」も廃城となりました。

各地の城は、「豊臣秀吉」と次に現れる「徳川家康」によって、ことごとく廃城となりました。

ここ「赤塚城」は その戦国時代の戦いの一幕でした。

私と同行の脇野は、「赤塚城址」の「本丸」を歩き、往時の面影を知るのでした。高台になっている「本丸」は広かったです。「本丸」の下方には「池」があります。「赤塚城址公園」になっています。これは、「赤塚城の堀の跡」です。寒いのに魚釣りをしてる人が何人かいました。「本丸」の下の「赤塚城址」を散歩して、帰ります。

私は以前、この近くの「高島平」に「事務所」を出したので、その頃、ここ「赤塚城跡」を時々 訪れたので、当時が懐かしかったです。

 

 

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