佐倉城武家屋敷・河原家・但馬家・武居家・年収はいくらだったのか?ひよどり坂
この日は、佐倉市鏑木町にある「佐倉城武家屋敷」を訪れました。同行は紺子さんです。「武家屋敷」は江戸時代に「佐倉城」に勤める「武士たち」が住んでいた屋敷です。屋敷と言うより、「家」ですね。
私と紺子さんが、「佐倉城武家屋敷」に到着すると、上級武士であった「河原家」に入りました。上級武士であったので、家は 比較的大きいです。上級武士であった「河原氏」は、現在の年収で言うと、「1000万円」ほどであったそうです。武家屋敷管理の担当者が そう申しておりました。当時の石高で言うと「90石」ほどであったそうです。
1年間に一人が 食べるコメの量を「1石」と定めました。高級武士であった「武士・河原さん」は 年収90石とした場合、このうち 6割を お抱えの農民に 食いぶちとして、渡したそうです。残り 4割を「河原さん」が 貰います。しかし この4割の半分を 藩のお殿様に 提出するそうです。そうなると 残りは、2割の18石です。自分1、妻1、家族 4(子供4人の場合)、使用人 5(5人使用人がいる場合)18石引く11石=7石が 余裕の石高になるそうです。
私と同行の紺子さんは、上級武士であった「河原家」の周囲を回りました。気分を出すため、当時の格好を致しました。学習旅行の小学6年生が、我々を興味深く眺めておりました。
隣の「武家屋敷」は、「但馬家」です。「但馬家」は中級武士です。中級武士の年収は 今で言う、「500~600万円」程度であったそうです。武家屋敷管理の担当がそう申しておりました。
私と紺子さんは、「但馬家」をぐるっと歩きました。当時の家は、風通しが良かったでしょうね。冬は隙間風が寒かったでしょう。ガラスもない時代ですから、窓は板の扉です。開けて明かりを取りました。現在の窓とは雲泥の差です。
最後に、「武居(たけすえ)家」に入りました。下級武士であったそうです。現在の年収で言うと「300万円」程度であったそうです。管理者がそう申しておりました。
この後、すぐ近くにある「ひよどり坂」に行きました。急な坂です。
平家の本拠地であった「福原京(現兵庫県)」に源義経らが攻め入ろうとした際、西側の防衛拠点であった「一ノ谷」を突破するために起こした戦闘が「ひよどり越え」です。「源氏」の突然の急な「逆落とし」攻撃に平家側は てんでんばらばらに敗走したのです。
「逆落とし」とは「逆さまに落ちるように急な斜面を駆け下りる」の意です。
江戸時代、武士やお姫様、庶民も、この「ひよどり坂」を上り下りしていたのでしょう。鳥の「ひよどり」は急な坂でも、波を打ちながら、飛んでいきます。
若い娘の一人歩きは危険です。
「ひよどり坂」から、千葉事務所に戻ります。撮影スタジオなら安心です。楽しく撮影して、この日は お別れです。
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