国府台合戦場・里見軍と北条軍の二度に亘る戦い・戦国時代・里見広次とお姫様 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

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国府台合戦(こうのだいがっせん)は、戦国時代に下総国の国府台城(こうのだいじょう)(現在の千葉県市川市)一帯で北条氏と里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦であります。天文7年(1538年)の第一次合戦と永禄6年(1563年)と7年(1564年)の第二次合戦に大別されます。第一次合戦は 房総の里見軍が兵力10、000人、北条軍が20、000人で、ここ現市川市国府台(こうのだい)にある「国府台城及びその周辺」を戦場として戦われました。

 また、第二次合戦では、里見軍20、000人、北条軍12、000人で戦われました。北条軍は、小田原を拠点とした戦国大名です。関東の覇権を手に入れようと、房総に出てきたのです。戦国大名は、武力で 出来るだけ多くの地を手に入れたいのです。一方 里見軍は、既に房総の覇権を手にしていて、北条軍に制圧されまいと、戦います。この「国府台合戦場」では、北条軍が押してくると里見軍は引いて、平地での戦いは、押しつ押されつ、でした。それでも 里見軍の犠牲者は物凄く多く、損害は甚大でした。里見軍の武将・里見弘次は戦死しました。

里見弘次の娘・里見姫は、亡くなった父を探しに、故郷の館山から、ここ「国府台合戦場」にたどり着きました。里見姫は 泣いて泣いて、父・里見弘次を弔って、そのまま、悲しさのあまり、石にもたれかかったまま、亡くなってしまいました。その里見姫がすがって泣いた「石」付近は、その後 夜間 近くを通ると、「里見姫」の泣き声が聞こえてきたのだそうです。現在でも「夜泣き石」として、「国府台合戦場」に置かれています。

 私は今回 まっちゃんを同行して、「里見合戦場」にやって参りました。まっちゃんは、「里見姫」に見えました。

 不思議なもので、戦国時代の「国府台合戦」の亡骸が あちこちで 二人を呼んでいるようでした。

 「里見合戦場」での双方の戦死者は、「国府台合戦場」のすぐ隣にある「総寧寺(そうねいじ)」の僧侶たちが、手厚く弔い、「総寧寺」の境内に埋葬したのだそうです。

 現在、「里見合戦場」は「里見公園」として 市川市が、管理しています。「里見合戦場」での敵味方が飲んだ水は、現在でも「羅漢の井」と呼ばれ、こんこんと水が出ていました。

 身近に 凄い歴史があったものです。私とまっちゃんは、当時を偲んで、合掌し、千葉事務所に帰ったのでした。

 

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