佐倉城の武士たちの屋敷・武家屋敷・上級中級下級武士たちの生活 | 西村治彦の日記

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この日は 次女のゆかりです。千葉県佐倉市には、佐倉城があります。江戸時代に佐倉城に勤めていた武士たちは どのような家に住んでいたのでしょうか。上級武士・中級武士・下級武士たちが住んでいた屋敷が 当時のまま展示されております。

 武士たちは 石高(こくだか)によって、生活のレベルが違っておりました。「石高」とは 一人が1年間に食べる米の量を「1石(こく)」と申します。石高が10石なら、10人が1年間に食べる米の量であります。分りやすいです。

 当時全国一の石高は、加賀の金沢藩です。120万石ですから、人口120万人の食い扶持を持っていました。以下 次の通りです。

加賀 金沢 120万石 前田従三位中納言利長 前田利家 前田正二位権中納言斉泰 外様
薩摩 鹿児島 72万8000石 島津従三位中納言家久 島津義弘 島津修理大夫忠義 外様
陸奥 仙台 62万石 伊達権中納言政宗 伊達輝宗 伊達左中将慶邦 外様
尾張 名古屋 61万9500石 徳川従二位権大納言義直 徳川家康 徳川義宣 三家
紀伊 和歌山 55万5000石 徳川従二位権大納言頼宣 徳川家康 徳川茂承 三家
肥後 熊本 54万石 細川従三位参議忠興 細川藤孝 細川正四位下左中将

佐倉藩は、

藩史の過半を占める堀田氏の石高はおおむね11万石で、現在の千葉県域では最大の藩でありました。つまり、年間 11万人の人口を食べさせていける石高でした。当時の佐倉の人口は、11万人以内であったことが分かります。余った米は流通させて、金に変えて、余裕を持ちました。佐倉藩内の全ての人々は 食べていかなければなりません。佐倉藩主は 配下の武士たちに それぞれ石高を定めて、米を配りました。現在の給料と同じです。

 ここ「佐倉城武家屋敷に住んでいた武士たち」は、自分、家族 、使用人などなどの米を配給されました。余裕があれば 使用人を雇うことが出来ました。現在でいう年収ですね。年収が多ければ、人を雇って、さらに利益を上げることが出来ます。

 そんな佐倉城の武士たちの屋敷を歩いて、現在と比べれば、「冬は寒かったろうな!」と思いました。「夏は暑かったろうな!」と思ったのでした。現在の生活の方が どんなに便利であるか、私は ゆかりと歩いて、そう感じたのでした。現代は 生活レベルは 比較にならないほど、遥かに豊かになっているでしょう。

 

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