埼玉県上里町の浅間山古墳・中山道に面してあります・江戸時代から旅人が眺めて歩いた円墳です | 西村治彦の日記

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「浅間山古墳」は 埼玉県上里町にあります。中山道に面してあります。江戸時代の旅人も この「浅間山(せんげんやま)古墳」を眺めながら旅をしたことでしょう。

 「浅間山古墳」は 富士山の信仰・「浅間神社」を勧請しています。それで 各地に 同じ名前の浅間神社があります。

 私の母方の実家は、さいたま市大宮区にあります。ここにも「浅間山神社古墳」があります。古墳の上に「浅間山神社」を建て、その古墳を「浅間山神社古墳」と呼んでいます。古墳の上は 神社が よく建っています。古墳は誰も犯すことができない聖地なので 共通の神社が建っていることが多いです。

上里町にある「浅間山古墳」は、円墳で 直径は約38m、高さは約6mです。

 私と同行の脇野真由美こと黒子さんは、「浅間山古墳」に着くと、登り始めました。石段が出来ています。登ると そこには「石室」がありました。登り口の「鳥居」と、登ったところにある「石室」と脇の「石灯籠」を含めて「浅間山神社」としています。神と崇める古墳と浅間山神社に 今まで多くの人々が参拝してきたのでしょう。

我々も 浅間山神社古墳の石室に一礼して、中を覗き込みました。直刀、鉄鏃、銅椀、耳環、玉、土師器、須恵器、などが出土したそうです。これだけの出土品が出るとは、この古墳の主は、この付近での力のあった豪族でしょう。

「浅間山古墳」は、7世紀後半の築造と推定されています。古墳時代も終期でした。「大化の改新」で 古墳作りは禁止されました。645年です。造営禁止以降に作られた「浅間山古墳」なので、せいぜい「円墳」でした。それ以前は 大きな「前方後円墳」が 多くあります。埋蔵品を見ても 当時 力を持ったこの付近の有力者であることが分かります。

我々は、「浅間山古墳」に登り 周囲を、ぐるっと歩きました。古墳時代の人々の気持ちになりました。この後、別の場所に移動しました。

 

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