館山城の里見の殿様と伏姫・館山湾を望む・恋人の聖地 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

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館山城は 1580年〈天正8年〉に里見義頼が築城しました。1614年には 廃城となりました。早いですね。現在の城は 再建された城であります。天正19年6月から11月までの間にかけて、里見義康が岡本城から館山城へ移転をしてきました。その後、1614年(慶長19年)に里見氏は改易され、館山藩は取り潰しとなりました。この際に館山城も廃城となり、破却されました。後の1781年(天明元年)に、稲葉正明が館山藩主となって館山に入りましたが、城を再建することはなく、2代正武が城の麓に館山陣屋を構えて、そこを新たな政庁としました。

 里見軍は 国府台合戦で 小田原の北条軍と 現市川市にある「国府台」で 2度に亘って 戦いました。押したり押されたりで 決着は着きませんでした。

 「里見氏」は、江戸時代初頭には 安房一国を治める館山藩主となりましたが、1614年に 里見忠義の代で改易されました。改易とは 他の藩へ移されることです。江戸幕府は 強い藩を都合により、そっくり移動させました。江戸幕府を強固にするためです。

戦国時代を始め、領土と支配する藩の範囲を争って、戦国武将同士が戦います。

 房総半島の先端にある「館山城」は、その勢力を、江戸湾に於ける「水軍」の力で示しました。「水軍」が強かったのです。「水軍」とは「海軍」です。江戸湾の入り口で、敵と戦えば 大層 強かったのです。大きな鉄板を貼った軍艦は 火に強かった。敵が 火を投げても 燃えなかったので、沈みません。その間に 相手の船に火を着けて、沈没させます。「江戸湾口」を固めました。

 江戸幕府にとって、里見藩は強いので、危険を感じるようになって、結局 里見藩は 山陰地方倉吉藩に改易されました。徳川幕府は こうして安定政権を作り上げました。​​​​​​

 そんな江戸時代初頭に強かった「館山城」を訪れて、古を思い浮かべるのでした。

 「里見城」は 江戸時代の小説「南総里見八犬伝」の舞台になりました。江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著わされた、日本文学史上最大の長編小説です。登場人物の「伏姫(ふせひめ)」と「館山城の藩主・里見の殿様(里見義実)」が出て参ります。

 館山に来て、「南総里見八犬伝」を思い出しながら、私と同行の島津典子と森田勇太が、館山城を背景に記念撮影をしました。館山城から見る「館山の町並み」と「館山湾」は 壮大で気持ちが良かったです。

 

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