弘法寺古墳・手児奈霊堂 ・国府台合戦・弘法寺 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

この日は、千葉県市川市真間に行きました。ここには、弘法寺(ぐぼうじ)があります。奈良時代、行基が真間の「手児奈(てごな)の霊」を供養するために建立した求法寺が始まりとされます。平安時代、空海(弘法大師)が伽藍を構えて「弘法寺」と改称したと言います。弘法寺のすぐ下には、「手児奈霊堂」があります。手児奈霊堂には、奈良時代に、「手児奈」と申す絶世の美女がいて、その手児奈が祀られています。手児奈霊堂を管理するために、「弘法寺」が建てられました。「手児奈」は、美し過ぎるがために、悩みました。井戸の水に映る手児奈の美しい顔、 男たちが、手児奈に近づいても、一人に絞れません。他の男が可哀想です。自分がいるから、男たちを悩ませる。「いっそ、いないほうが良い!」と目の前の海に入水してしまいました。可哀想な手児奈。

 「弘法寺」は、「僧・空海」が「手児奈」を不憫に思って、名称を「弘法寺」と変えたのだそうです。弘法寺は「ぐぼうじ」と読みます。弘法寺は、戦国時代は、国府台(こうのだい)戦争の時に、館山城の里見軍の本拠陣地として、二度の戦いで使われました。境内は広いです。境内には「伏姫桜」の大木があります。春になると 立派に花を咲かせます。

弘法寺境内には、古墳があります。弘法寺古墳です。前方後円墳です。古墳時代、中期の古墳です。

弘法寺の仁王門は、立派です。下から登ると、かなりの高さがあります。昔は、弘法寺の前方は、海でした。

弘法寺の古い建物は、新しく建て直されました。新しい堂宇は立派です。

赤門があります。赤門を入ると、大黒天があります。私と同行の立石優と石田朱里は、大黒天で願を掛けました。石田朱里は、「元気でコロナにかからないように!」、と願を掛けました。私が、このブログのために、出掛けて歩き回っているので、危ないです。コロナには、お茶が良いそうなので、今は「お茶!お茶!」と言いながら歩き回っています。立石優は、「もっと美人になりたいです」と願を掛けました。「もう充分美人です」

手児奈霊堂、手児奈の井戸、弘法寺古墳、弘法寺と回りました。有意義でした。

 

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