群馬県邑楽町・前原浅間神社古墳・邑楽町役場・シンボルタワー:小林山天頭塚古 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

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 この日は、群馬県邑楽郡邑楽町のシンボルタワーに行きました。「邑楽町」は難読です。私も何度 読み方を暗記しても忘れてしまいます。「おうらまち」と読みます。人口25、654人です。

 「邑楽町」には町のシンボルタワーがあります。高さ56.5mです。登ってみましょう。

 展望台からの景色は、遠くは 東京まで、見えます。360度の景色は格好良かったです。

 シンボルタワーは、邑楽町役場の広い構内にあります。構内には消防署までありました。

 邑楽町シンボルタワーから、次は、同じく邑楽町にある「前原浅間神社古墳」に行きます。 浅間神社古墳は直径25メートル、高さ2メートルの円墳で、墳上に「前原浅間神社」が祀られています。

墳上に祀られた浅間神社は、氏子総代資料によると、新田義貞の忠臣中野藤内左衛門景春ゆかりの神社と言われています。 中野氏は、文永2年(1265年)新田一族の大島次郎景継が佐貫庄中野郷に塁を築き、中野氏を称したことが始まりとされています。

中野景継には男子がなく、駿河国富士山本宮浅間大神に祈願したところ、弘安10年に男子を出生したといい、そこで景継は二人の家臣を富士山に登らせ、中野城の西南にあたるこの場所に分霊を祀ったのがこの浅間神社と云われています。

中野景継の嫡男として生まれて、景春は、新田方の武将として活躍し、延元3年(1338年)灯明寺畷(福井県福井市)で新田義貞と共に戦死しました。

 全国に「浅間神社」と名の付く神社は、たくさんあります。富士山の神・浅間神社にお参りし、「浅間神社」を自分の国にひっぱってきます。「勧請」と申します。他の名の通った大きな神社でも 同じように「勧請」された神社が各地にたくさんあります。

 土地の名前を頭に着けて 誤解を防ぎます。ここは「邑楽町前原」にあるので「前原浅間神社」です。「古墳名」も「前原浅間神社古墳」と言って区別をします。

神社も由緒がありました。地方には、由緒ある「神社」や「古墳」が多いです。

 次に、高崎市の「達磨寺裏手にある古墳」に行ってみます。こちらは「小林山天頭塚古墳」と呼ばれています。円墳です。古墳には 石がびっちりと貼られていました。

 古墳の中に入りたかったのですが、入り口には 厚いガラスが嵌められていて 中には入れませんでした。よく見ると、かろうじて、石室内部が見えます。

石がびっちり張られている古墳は珍しいです。風化を防いで恰好が良いです。付近には、古墳群があります。

すぐ裏には「達磨寺」があります。達磨寺では、私は「達磨」を買って 念願が叶ったら、達磨に目を入れる積りです。「リモート事務所」の充実です。

 この日は 3か所を回りました。近くの「高崎事務所」に寄ってから千葉に帰ります。

 

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