蕨城跡・埼玉県蕨市にある戦国時代の城跡 | 西村治彦の日記

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蕨城跡・埼玉県蕨市にある戦国時代の城跡

南北朝時代に足利氏一門の渋川義行によって築城され、曾孫の渋川義鏡が古川公方に対抗するための拠点としました。

周囲を沼と深田に囲まれた微高地上に築城された平城で、幅約11.8mの囲掘と幅約8.2mの土塁をめぐらし堀の内側の面積は約12,200㎡となっており、南側には同様の堀と土塁をめぐらせた約21,650㎡の外輪地があり二郭を形成していた。

弘化3年(1846年)頃のものと伝えられる「蕨御殿の図」では主郭の南側に虎口と馬出しの存在が認められ、これらは外郭と同時期に渋川義鏡によって加えられたものと考えられています。

戦国時代には扇谷上杉氏と後北条氏の境界線に位置したため、扇谷上杉氏にとっては江戸城奪回のための拠点となり、後北条氏にとっては川越城攻略の足がかりとなり、しばしば所属する勢力が入れ替わりました。

現在は本丸跡地が県の旧跡に指定され、城址公園として整備されています。(サイトより)

 埼玉県蕨市は、埼玉県の最南端にあり、東京都に近いです。当時 江戸に近い所にあった「蕨城」は 江戸城奪還の拠点として重要でした。多くの戦国大名による絶好の拠点でした。

 「蕨城」の本丸は広くて、現在では「蕨市民会館」と「和楽備(わらび)神社」が建っております。

蕨市は埼玉県にある京浜東北線沿いの都市です。さいたま市と川口市に挟まれた「日本一小さな市」なのです。本当に小さな市です。人口は75000人です。 

 「蕨城跡」にある「和楽備(わらび)神社」は、成人式発祥の地」なのだそうです。学校を卒業した学生が親に連れられて、挨拶に訪れておりました。

 両親にとっては、とても喜ばしい卒業の挨拶です。

「和楽備神社」の「和楽備」ですが、私は「和楽備」が「蕨」になったのかと 思いました。しかし、そうではないようです。昔から「蕨」はありました。私は、現在でも その理由は分かりません。

 身近な城跡「蕨城跡」、京浜東北線の埼玉県に入ってすぐのところにありました。

 私は車で移動しています。車なら コロナは大丈夫。人ごみを避けて 行動しています。

 

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