「小泉城跡」には 満開の桜・戦国の兵たちが夢の跡 | 西村治彦の日記

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「小泉城跡」には 満開の桜・戦国の兵たちが夢の跡

「小泉城跡」は、群馬県邑楽郡(おうらぐん)大泉町にあります。「大泉町」にある「小泉城跡」であります。

 もともと この城のある辺りは、「小泉」と言う地名でした。近年、「小泉」が「大泉」に変わりました。それで、現在は、「大泉町」にある「小泉城跡」が残っているのです。

「小泉城」は:結城持朝の息子の持光(後の富岡主税介直光)が後に足利成氏から邑楽郡(おうらぐん)に所領を与えられて延徳元年(1489年)に建設した富岡城が後に「小泉城」と呼ばれるようになったと言われています。永享12年(1440年)に関東地方で起こった室町幕府と結城氏ら関東の諸豪族との間の戦いが「結城(ゆうき)合戦」であります。

富岡一族は古川公方や上杉謙信、後北条氏などの勢力下で活躍し、富岡氏から小泉氏が分かれました。しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東攻めの際、家臣浅野長政らに攻められて落城し、廃城になりました。

 この日は 天気が悪かったです。私は 「小泉城跡」を歩き回りました。内堀がそっくり残されています。折から桜が満開でした。

  「小泉城跡」には、古墳がありました。古墳は「小泉城」建設時以前から ここにあったのです。

 「庚申信仰」の「庚申石碑」が纏まってたくさん立てられていました。後世 ここに纏まって移動になったのだそうです。「庚申信仰」は、十二支で、60日に1回、回ってきます。年でいうと60年に1回です。人は60歳になると、還暦と申します。歴が1回回ってきて、60年経ちました。

 「小泉城跡」は広い城跡でした。戦国時代には もっと広い城でした。室町幕府の力が衰え、地方の戦国大名たちが、我こそは、と立ち上がり、群雄割拠となりました。

 戦国時代から豊臣秀吉の統一を「小泉城跡」に見た思いがしたのであります。

 コロナ禍で、私は、人ごみのない地方に行くことが多くなりました。

 

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