松虫寺の松虫姫・らい病にかかって東国に旅をする | 西村治彦の日記

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松虫寺の松虫姫・らい病にかかって東国に旅をする
奈良時代、聖武天皇の娘に、「松虫姫」がおりました。「松虫姫」は、難病の「らい病」にかかってしまいました。「らい病」は、「ハンセン病」と呼ばれ、現在では、完治出来る病気であります。
奈良時代には、伝染病の「らい病」は知られており、当時は、隔離のために、遠くに旅に出ることが、行われていました。
そのため、「松虫姫」は、遠く東国にまで旅に出たのです。
「東国に光輝く仏」があり、「その仏に出会えば、病は治る」と聞かされ、牛に乗って旅に出たのです。
果たして、現千葉県印西市に「松虫姫」が来た時、話に聞いていた「光輝く仏」に出会ったのでした。「松虫姫」は、ここに棲み家を定め、逗留することにしました。
「不思議!、不思議!」、当時は治癒困難であった「らい病」は、日に日に良くなり、ついには、治ってしまいました。
「光輝く仏様」のご利益は、凄いものでした。
こうして、「らい病」を克服した「松虫姫」は、元の都、京都に帰ったのでした。
この「松虫姫」の完治を祝い、僧・行基は、この地に「松虫寺」を建てたのでした。「松虫寺」は、千葉県でも有数の古い寺であります。
「松虫姫」と、京都から行動を共にした姥の「杉自」は、「松虫姫」が京都に帰る時も、老齢を理由に、一緒に帰らず、この地に骨を埋めることになりました。「松虫寺」の近くに、「杉自」の塚があります。私と同行の黒子さんは、「杉自」の墓を訪れ、弔って参りました。
また、完治した「松虫姫」が一人で京都に帰ることになり、残された「牛」は悲しんで、近くの池に入り、亡くなったのだそうです。
現在、「松虫寺」の近くに、「松虫姫公園」が作られ、「松虫姫」が「この牛」に乗って、この地にやって来た像が作られれています。
その脇には、この「牛」が入水した池が、現在でも残されています。
暑い中、「松虫姫」になってもらった黒子さん、ご苦労様でした。

 

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