銀子さんが「大厳寺・生実の城址コース」を行く・学問の教えを「壇林」で学ぶ
この日は、銀子さんの登場であります。たまには 学問を学びましょう。やる気を持つには、学問の「壇林」を訪れましょう。
千葉市には、「大厳寺・生実の城址コース」と申す「学問・城址散策コース」があります。
「大厳寺(だいがんじ)」を出発点として、次々と、附近の名所旧跡を巡るコースです。
江戸時代、この付近は「生実藩(おゆみはん)」でした。「生実藩」の累代の城主の菩提寺「重俊院(ちょうしゅんいん)」、千葉市で一番大きい「大覚寺山古墳」、近くに「大覚寺」と言う寺院があります。
「生実藩」の城・「小弓城跡」。当時の城主や武士たちも参拝したであろう「八剣(やつるぎ)神社」。
昔から、ここの池の水を利用して、生活に役立てていた「大百池(おおどいけ)」を巡ります。
この日は、私は銀子さんと、このコースの出発点である「大厳寺」を訪れました。
銀子さんは、このような落ち着いた名所を訪れるのが一番良いと思います。
黙っていると「買い物」に行きます。この日は、「買い物には行きませんよ!」
「大厳寺」に到着致しました。
折から、桜は満開でした
「超綺麗!」
「大厳寺」は 江戸時代、「栴檀林(せんだんりん)」と呼ばれた「壇林(だんりん)」でした。
「壇林」は、今で言う「大学」です。学問を目指す多くの僧侶や武士、その子弟たちが、江戸幕府の援助を受けて学問を学んだのです。
ここに来ると、我々も、「俄然、学問を学ぶやる気」がみなぎって参ります。銀子さんは、学校時代、勉強したのでしょうか? 詳しくは知りませんが、「あまり勉強は好きでなかった!」と申しております。
遅まきながら、ここ「大厳寺」にやって来て、銀子さんは「壇林」の教えを学びました。
私、「通信教育を受けます!」と、「壇林」に浸りながら、言いました。
「続くでしょうか?」
「壇林」の多くは、その後、明治時代に入り「大学」になりました。私は 同じく桜満開の「淑徳大学」に入り、また一層の「学問」に浸りました。
「銀子さん」は、いつの間にか 見えなくなりました。どこに行ったのでしょうか?「買い物には行きませんよ!」
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