鴨川市清澄寺探訪・山の奥にあります。 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

清澄寺(せいちょうじ)は 千葉県鴨川市にある日蓮宗の大本山であります。私は、隣の勝浦市に別荘があるので、以前から よく ここ清澄寺には行きました。勝浦市や鴨川市は 目の前が海なので、海に飽きたら、山に行きます。

「清澄寺」は 山奥にあります。

千葉県で2番目に高い清澄山を登って行きます。

清澄山の主峰は標高377mの妙見山で、千葉県で2番目に高い山であります。(1位は愛宕山・南房総市・408m、3位は御殿山・南房総市・364m)。清澄寺の本堂付近の標高は約310メートルあります。

夏は涼しいですね。

 昔の人は こんな山奥の寺に歩いて登って行ったのです。「清澄寺」は、「日蓮上人」が 修業を積んだ寺として知られています。

「日蓮上人」が生まれたのは、下の海に面した「日蓮寺」であります。この寺で、「日蓮」は幼少時代を過ごしました。その後、20歳になるまで、この「清澄寺」で修業を積んで、

20歳の時に、江戸湾を舟で渡って、「鎌倉」へ行きました。

 「日蓮」は、自分の主義主張を変えません。自分の信じる「法華経」を唯一の仏教として、鎌倉で、辻説法で広めました。

周囲の寺々にも、改宗して「法華経」に変えるよう説法しました。他の寺々は、「日蓮」に反発しました。

 時の鎌倉幕府にも「幕府の仏教」として、「法華経」を唯一の仏教とするよう、「立正安国論(国宝)」を書き表して、強要しました。

「日蓮」は捕えられて、伊豆に島流しになりました。この島流しの刑期を終えて、「日蓮」は、また鎌倉に舞い戻りました。

「日蓮」は また同じことを鎌倉幕府に強要しました。また捕えられて 今度は「佐渡島」へ島流しです。

 刑期を終えると、また「日蓮」は 鎌倉に舞い戻って、同じ教義を寺々や鎌倉幕府に致しました。

 今度も捕えられて、「死罪」を言い渡されます。馬に乗せられ 市中引き回しです。

 「江の島」の北にある「龍ノ口刑場(現龍口寺)」で 斬首です。

斬首直前に、天から「雷」が落ちました。

介錯人を打ち、

介錯人は倒れ、

「日蓮」は助かったのです。「日蓮」は釈放され、九死に一生を得たのでした。これを「龍ノ口法難」と申します。この奇跡の上人は、その後「奇跡を起こす上人」として 人々に崇敬されたのでした。そして、今日に至ります

 その「日蓮上人」修業の地として「清澄寺」は、多くの参拝者で賑わっております。

 私は、特に 特定の仏教や僧の信者ではありませんが、日本の歴史を学ぶ上で、「日蓮上人の物語」は知っておいた方が良い、と考えております。

 当時からあった「大きな杉の木」は、「千年杉」と呼ばれています。

鎌倉時代は800年ほど前からです。この「千年杉」は、当時 200年ほど経った杉でした。

「清澄寺」の広い境内を歩き廻りました。寒くなって参りました。下に降りて行きましょう。鴨川市の歴史の学習でした。

 

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