金色子さんの御成街道を行く・徳川家康・秀忠・家光公が東金へ鷹狩りに通った道
金色子さん宅近くに「御成街道」が通っています。
この街道は、江戸時代初期に佐倉城主・土井利勝が徳川家康の命を受けて、
近隣のお百姓さんを総動員して、三日三晩の突貫工事で作り上げた街道であります。
一泊目の「船橋御殿」で泊まり、
翌日、船橋から現四街道を通り、現千葉市若葉区の「御茶屋御殿」を二泊目とし、三日目に「東金御殿」に到着しました。
「東金」では、徳川家康・二代将軍徳川秀忠・三代将軍徳川家光公は、「鷹狩り」をしました。鷹狩り以外に、近隣の譜代大名を集めて、忠誠を誓っているかどうかの実験をしました。
「御成街道」は真っ直ぐの街道です。現在は、「JR四街道駅」で、
迂回して先に進んでいますが、車で、「御成街道」を進むと、実に真っ直ぐであります。船橋~東金間の最短距離であります。「四街道」の船橋寄りには、「四街道四叉路」があります。
ここは、「東金」「千葉」「成田」「船橋」方面への分岐となります。
道を間違えると大変です。石で出来た道標は とても重要でした、
「御成街道」を歩くと、江戸時代の風景を楽しむことが出来ます。特に、現千葉市若葉区の「御茶屋御殿」付近に行くと、江戸時代の建物を「御成街道」沿いに見ることが出来ます。
江戸時代、将軍一行は、「御成街道」を進み、二泊目で「御茶屋御殿」に到着しました。
「御茶屋御殿」は広大で、周囲は土塁で囲まれ、大木で囲まれています。御殿には「井戸」があり、
将軍と一行は ここの井戸水を飲んだのでした。
将軍は お気に入りの側室や正室を連れて、「東金御殿」まで 旅をしたのでしょう。
「御成街道沿い」には、現千葉市稲毛区長沼にある「駒形観音堂」があります。
江戸時代、「御成街道沿い」に歩く旅人たちは、立ち寄って、道中の安寧を願ったに違いありません。
原因不明なのですが、痛い右肩に注射を打たないと、辛くて生活出来ないのだそうです。可愛そうですね。この際、「長沼の駒形大仏」にお願いして下さい。「肩の痛みが取れますように!」と。
「金色子さん」は まだ 40歳手前なのですが、肩がどうにもならないほど、痛いのだそうです。
私に「肩を治して下さい」と嘆願しますが、私は医者でないので、治せません。
時々、金色子さんは、辛そうな変な顔をしていますが、それは痛いからなのです。治りましたら、相当 明るい顔になって お披露目出来るかと思います。
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