今日は少し怖い話から入ります。金堀城の探検、閻魔堂の○○探し | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

今日は少し怖い話から入ります。金堀城の探検、閻魔堂の○○探し

江戸時代末期の戊辰戦争で敗れて、現船橋市金堀町(当時 金堀村)に逃げて、寺に入り、助かった私の祖祖父、浅野秀久(改名して後 鈴木照盛)の納骨式を お坊さんを呼んで 行うことになりました。大掛かりな改葬工事が終了し、
西村治彦の日記
前回 お坊さんを呼んだのは、墓所の「お清め」でした。

 私は 少し 早めに 出掛けて、ここ船橋市金堀町の墓所近くにある「金堀城址」を探検することにしました。
西村治彦の日記

 「金堀城」は 戦国時代、千葉氏配下の「高城氏」が治めた城と言われています。戦国時代に この辺りの戦国大名は ことごとく破れました。城は 土で出来ていたので、長い間の風雪で 土塁や郭が残っているばかりであります。
西村治彦の日記

「金堀城址」は その後 土地の開墾などで、多くが 削り取られてしまいました。「当時の土塁が 少しばかり残ってはいる」と、土地の人から聞いておりました。それでも 私は 手がかりを求めて、「金堀城址」を探し求めようと思ったのです。
西村治彦の日記

 場所は 大体 特定出来ました。
西村治彦の日記
そこには、金堀の「閻魔堂」と呼ばれている、壊れた、風雪の入り込む「怖~いお堂」がありました。
西村治彦の日記

 「怖いもの見たさ」です。誰もいないようですが、人が住んでいた形跡があります。お堂などには 家のない人が 入り込んで 住む場合があります。どうも 人が 数年前まで 住んでいた形跡があります。

 中に入ろうと思いましたが、「○○」が 転がっている感じがしました。服が 箪笥の中に吊り下げられています。布団も 重ねてあります。
西村治彦の日記
私は 怖いものを見たいので 中に入ろうと思いましたが、一段高くなっている壊れた入り口に乗ると、「ぎしぎし」と音がしました。建物が 壊れるかもと思いました。余りに古い。建物の周りの庭には、昔からの石碑がたくさん立っています。
西村治彦の日記

私も この石碑の仲間入りをするかも知れないと思ったら、
西村治彦の日記
さすがの 私も 脚がすくみました。
西村治彦の日記
「怖~い!やめた!」

 こうして、壊れた「閻魔堂」の冒険は やめることにしたのです。
西村治彦の日記

次回 誰か 私と ここへ ○○探しに出掛けませんか? ○○を見つけたら 写真を撮りましょう。ブログに○○の写真を載せても 大丈夫でしょうか? 削除されますか?

 「ミイラ取りがミイラになる」と申します。私がミイラになったら 嫌だから、誰かと 行きたいのです。新入社員で良いでしょうか?
西村治彦の日記

 さて「金堀城址」探検を中止して、現在 ウチの事務所管理の「金堀町の共同墓所」に 向かいました。
西村治彦の日記
時間に間に合いました。
西村治彦の日記

 すでに、ウチの顧問先である「坂田石材(株)さん」の社長と担当者が来ておりました。


西村治彦の日記
 挨拶をして、さっそく 待機していたお坊さんに「お経」を上げて戴くことにしました。
西村治彦の日記
今日は「納骨式」であります。
西村治彦の日記

 すでに 新しく墓所の境界を確定し、立派な墓所が完成しています。
西村治彦の日記
前回 お坊さんに「お経」を 上げて戴いたのは「墓所完成」の「お清めの式」でした。

 今回は 地中に埋められていた先祖の「お骨」を 完成なった墓所に「納める式」であります。「納骨式」であります。
西村治彦の日記

 今後「(有)日本福利厚生社」が 管理に当たります。
西村治彦の日記
今後 誰でも この墓所に入れますので、困った時は いつでも お入り下さい。
西村治彦の日記

「困った人」とは、家族のない方、
西村治彦の日記
喧嘩して家出した方、家族の墓所には入りたくない方、
西村治彦の日記

 こちらに骨を埋めたい方、捨てられた方、先祖の墓に入ることを断られた方、
西村治彦の日記
 離婚して または 離婚しそうで戻れない人、などなど、家族、知り合いを含みます。
西村治彦の日記

 墓所は 所有権の登記がなされていませんので、誰のものでもありません。今後は「(有)日本福利厚生社」が 管理に当たります。担当になった社員は 末永く よろしく 墓守を お願い申し上げます。
西村治彦の日記

 場所に 所在地(住所)がないので、不明なことは ウチの顧問先である「坂田石材(株)さん」に お尋ね下さいませ。



ブログランキング参加中です。

クリックにご協力おねがいします。

↓こちらをクリックしていだだけますでしょうか。

にほんブログ村 士業ブログ 社会保険労務士(社労士)へ

にほんブログ村