小田城と法雲寺、戦国時代の城と寺、土浦事務所に行く途中 | 西村治彦の日記

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小田城と法雲寺、戦国時代の城と寺、土浦事務所に行く途中

 自宅から 茨城県土浦市にある、ウチの事務所に出掛ける時は、のんびり下道を通って行くことがあります。結構 途中には 歴史ある名所旧跡があるからです。

 土浦市にあるウチの事務所の近くに
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「法雲寺」と言う、戦国時代に作られた、古い寺があります。
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こんな田舎に 何でこんなに古い、由緒ある寺があるのだろうか?と不思議です。


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 現茨城県の土浦付近は、戦国時代、「小田氏」が「小田城」で この地方を治めておりました。
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「法雲寺」は「小田城」の城主「小田治久」が 開基だそうです。城主たちは 自分たちの菩提寺を持ち、先祖を敬いました。
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 道理で「法雲寺」は 古いのです。山門は、土浦市で一番古い木造建造物なのだ、そうです。
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もう まるで 腐りかかっているのですが、
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予算の関係なのか、手入れが 生き届いておりませんでした。
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 私は この「法雲寺」を建立した当時の城主が かつて 支配していた「小田城」にも 行ってまいりました。近くにあります。
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 「小田城」には、まるで 人は来ていません。城跡は とても広くて、土塁や空堀が 目立ちます。
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 一昨年の大地震で 地面が割れて 砂が噴出したので、青いビニールシートが被されておりました。
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もともと 水気の多い土地なので、雨が降ると 足を取られるからでしょう。

 堀は 昔は 水を 満々とたたえていたと思われます。私が 行った時は 空堀になっていました。
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現在 復興工事が進んでいました。公園にも なっていないし、特に看板や案内板もないので、誰も「小田城址」には 来ないのでしょう。
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 茨城県の「生みの親」でもある「小田氏」と「小田城」。県民一体となって、「小田城」を 早く復元されたほうが 良いのではないでしょうか。
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 「法雲寺」はこの「小田城主」が 1332年に建立したそうです。中世には 武将たちに信仰され、隆盛を極めた寺であります。


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国の重要文化財があります。「和尚像絹本」3巻であります。

 私が「法雲寺」を訪れた時は、見ることが出来ませんでした。
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寺には 古い大仏などが ごろごろ 廊下などに 無造作に 置かれておりました。
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ここまで 田舎に来ると、国の監督も行き届かないのでしょう。雑な管理であると思いました。
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 私は 寺の奥さんに話しかけて 寺の中を見せてもらいました。丁寧な優しい奥さんでした。
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 そうしたら 奥から 旦那であろう「住職」が、「寺に入るな!」大声で 怒鳴りました。
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そして 奥さんにも「人を入れるな、と言っただろう!」と怒鳴っています。

 たまに あるのですが、「一人が入場を許可しておいて、もう一人が、禁止する」行為を 時々 経験します。そのような場合、「法的」にはどうなのでしょうか。「入ったら 出られない」こともあります。
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 寺は きちんとルールを決めて、「寺への入場は 許可し、重要文化財の管理だけは、きちんと行うべきである」と思いました。
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 「許可」して、すぐ「不許可」にすると 誰でも 怒りますよね?
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予定が狂い「損害をこうむったり」、約束を破られたことにより、「債務不履行」が起きたり、裁判にもなりかねません。
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 私は このようなことのないよう、日ごろから、ルールを決めて、「仕事が順調に進むよう」心がけております。
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事務所や会社のルールも、「就業規則」など、種々のルールに決めて 無言でも 順調に仕事が進むよう、管理すべきであると、考えました。


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