私も 昔から 何か 事が 起きると 考え込むことが 日常的に起きました。 現在でも 何か 起きると 考えます。時には 落ち込んだり 悲しくなったりします。人間だから 当たり前とも言えますが いつまでも 落ち込んでいたり 悲しんでいたりでは 将来への 解決には なりません。
私は その時 こう考えるようにしています。
その悩みが①「大きなことであるのか」②「大きくないことなのか」
①の「大きなこと」とは 「自分の命に係わること」ということです。「命」とは (ア)「生物としての動物的命」と(イ)「精神的、社会的命」に分けています。
例えば 仕事が忙しい時 友人と会食する約束をしていたとします。仕事は終了しなければいけない。友人は約束時間に待っている。そんな時 あなたなら どちらを 選びますか? 私の判断の基準は どちらかを選ぶと 「自分の動物的命」または「社会的命」が 危うくなるのか、どうなのか、で決まります。
仕事に提出期限があれば 期限以内で 終わらせないと 倒産の危険があったり 認可を取り消されたり、経営が 危うくなります。経営がおかしくなって 収入が途絶えれば 自分の生活費もなくなり、食事も取れず、「動物的命」が 保たれなくなります。従って この場合は「仕事を選び 友人との会食は延期」してもらいます。
別に 提出期限が まだ先のことであるならば 仕事の安全性には 問題がないので 仕事を早く終えて 友人との会食を選びます。
仕事が忙しく 明日が提出期限であっても 会食をする人が 仕事上のどうしても必要な重要な人ならば 会食をし、仕事は 会食後 徹夜をしてでも やり遂げます。そうしないと 私の社会的信用を落とし 悪い噂がながれ 社会的命も 失われかねません。重要な友人や知人と交流を優先させないと 約束を破る無責任な人間だという レッテルも貼られる可能性があります。
では どこで その判断の基準があるかと言えば その時々の 精神状態で 基準が上下しているようです。気持が 落ち着かない時は 友人に会わないで 仕事を続けてしまうかも知れません。知人や身内が亡くなった時、大金を失った時、若者なら失恋した時などは、仕事のことや 友人のことなどは どうでもよくなり 判断の基準が 雑になります。
この雑になった時が人生の分岐点になる可能性があります。ですから 出来るだけ やけっぱちにならずに、客観的に自分を見つめ 過去の うまく行っていた自分を思い出し 出来るだけ早く 判断の基準を 冷静に 元に戻すことです。いつも やけっぱちになり 感情的になり どうでもいいや、等という精神状態から 出来るだけ 早く 抜け出し 客観的な自分を 取り戻すことです。自分がおかしくなった時 自分を助けてくれる家族や友人を持つことです。そして 判断の基準を、出来るだけ、「命を守るための基準」と そうでない「趣味や娯楽の基準」とを明確にし、多くの出来事を正しく認識し より良い人生の結果を出していきたいものです。長い間の人生で このような判断基準が 正確であれば、きっと 貴方も 満足する、素晴らしい人生を送れるものと思います。そして「イエス、ノー」の基準が より分かりやすくなるものと思われます。(西村治彦)