子供の頃にちょっと恐怖だったのを覚えている。

先日病院の待合室でせなけいこさんの「ふうせんねこ」を次男と読みました。
子猫が「いやだぷー」と言っていたらどんどん膨れてお空へ飛んで行ってしまい、母さん猫が夜になっても帰ってこないと泣いているお話。

次男の心に響いた様で、何度も何度も読まされました。
最近ご飯じゃなくておやつがいいと駄々をこねることが目立って来たところ。
丁度そんなシーンもあり、彼なりに思い返すところがあった様でした。

脅しで子育てをしたくないけれど
(そんなこと言ってるとふうせんねこみたいに飛んでっちゃうよ、という様な)
絵本から子供が自分自身を振り返るよい機会を与えられたなぁと思うのでした。


小さめ小さめと言われていた長女。
意外と体重はありました。
でも
でもなんて小さいのでしょう。
産声は3人の中で1番大きい気がする。
きっとお腹の中にいる時から、周りは賑やかだなと思っていたんじゃないかしら。
顔はコンパスで描いた様にまん丸。
頭の毛は生えて生まれてきたので長男と似ている?
でも眉毛とデコ毛は繋がっていないし。しかめっ面をすると次男と似ているかしら?
なんて誰に似ているかで盛り上がっていました。

しかし
産めば産むほど強くなる後陣痛。
私はノロウイルス(ちょうど流行っていた)にでもかかったのではないかと思うほど戻し続けました。
ぽんぽこりんのお腹が無くなって淋しい反面、赤ちゃんにおっぱいをあげる至福の時。
のはずが、おっぱいをあげると吐き気が。
(おっぱいをあげると子宮が収縮して後陣痛が起こるのです)
一般的には下腹部の痛みで表れる後陣痛。
私は吐き気で表れました。
1人目の時は1時間位。
2人目の時は2時間位。
3人目の時は一晩と半日。
せっかくお料理を作ってくださる方が、食べたいものを訊きに来て作ってくださった翌日の昼食も残してしまいました。
(でもすっごく美味で沁みました!)

初めての助産院での出産。
助産院で産めないかもしれない要素が後半になり次々と現れるも、無事に乗り越え安産で出産できたことに感謝です。
次がもしあるのなら(え?!)また助産院で産みたい。そう思える環境であったこと本当に何から何まで感謝です。

後陣痛がやっと治まって次の日の夜。
赤ちゃんが起きているな、と思うと
「あー、うー」と云う声が!!!
あれ? なん語ってもう発するのかしら? 寝ぼけて聞き間違えたのかしら?
その後間も無くはっきりとしたなん語を話しており、本当に驚きを隠せません。

生まれてから5ヶ月。
個性なのだろうか、とても発達が速く3ヶ月の頃には寝返りをし、4ヶ月も終わりに近づくとずるずる前進していました。今ではずりばいで床の上なら自由自在。
上2人は寝返りがやっとの頃だったような。

大きく生まれた割りに良く動く為に小柄な長女、あーさん。
本当に5ヶ月の赤ちゃんかしらと思う位、身体の発達が速く、周りを良く見てわかったような顔をしています。
確かに1人目の時に比べれば刺激(兄たちによる)は多いよね。
お腹にいた頃はのんびりさんかと思っていたけれど、そうも言っていられないね。

新たな幸せを持ってやって来てくれたあーさん。
まだまだ未熟な母ですが、精進いたしますのでどうぞよろしくね。
前回のブログ更新から5日後。
やっとやっと、お腹の子に出会えたのが予定日から6日経った時でした。

明け方5時頃「あ、陣痛来た」と目が覚め、うつうつ状態ながらも布団の中で時間のメモを取りながら寝ていました。
7時頃に助産院に「10分間隔です」と告げるも、5分間隔になったらまた連絡を下さいとのことで自宅で過ごしていました。
昼頃には産まれるかしら、なんて構えていたら何とまぁ陣痛の間隔がまた開いてきてしまいました。

早く生まれておいでーと10時頃から皆で散歩。
陣痛で途中立ち止まりながらも家族4人の最後の散歩をして、お昼ご飯でも食べようと近所のラーメン屋さんで食べ(ジャンクフード!)、帰って来てもまだ陣痛は10分間隔から縮まらず。
むしろ1時間無いときもありました。

朝からずっとそわそわそわそわ。
午後は家の掃除をしたり、足湯に入ったり。
そうこうしている内に、陣痛の感覚はあまり縮まらないけれど痛みが強くなってきました。
そしてやっと16時頃助産院に入りました。

しかし安心したからか、また陣痛の間隔が広がってしまいました。
えーどうしよう。また前駆陣痛なのかしら。と思いながら夕食を頂きました。

また出直しは避けよう。と食後に階段を往復しました。
階段往復に喜んで付き合ってくれる長男と3回くらい。
そのあと1人で何回か。
2階から1階のたった1階分の階段を、5往復程度しかしていませんでした。
検診のときからずっと見守ってくださっていた看護学校の研修の方に、笑顔で「もう1回行ってきます」と告げて降りてゆくと、帰りののぼりが上れない。
そこへ先生がいらっしゃって「もう産まれるわよ」とわたわた準備を始めました。
え、もう産まれる?
2人目の時もそうだったけれど、階段で陣痛の促進効果がこんなに抜群だとは。

部屋のベッドで仰向けに寝ながら点滴をし(私はその必要があったのです)
点滴で体制が変えられない陣痛は何と辛いことかしらと思いながら、
ひたすら風のそよぐ木漏れ日を思い描きながら陣痛をやり過ごそうと必死でした。

先生が私の様子を見ながら、点滴が終わらないうちに「もう出て来るから点滴外して」と研修生の方に指示し、
私に「どんな体勢で産みたいの」と尋ねました。
仰向けで寝ていたので「仰向けで」と答えるも、やっぱり仰向けは辛い。
「四つん這いになりたい」と告げ、体勢を変えようと横向きになると破水。
いや、これもう動けない。むしろこれが楽かもしれない。
「このまま産みます」
結局家族に背を向け、先生の方に足を押し付ける体勢で産むことにしました。
皆の顔は見られなくて、大丈夫かな、夫も息子も退いていやし無いだろうかと心配でしたが
「お母さん頑張れって腰さすってあげよう」なんて言う声が聞こえ、温かい気持ちになりました。
後から聞いた話、先生が「頭見えてきたよ」と言うと息子2人はのぞきに行ったそうです。

先生から「いきみたい時にいきんでいいわよ」と言われるも、2人目の時はそう言われてからいきんでもなかなか出てこず、力任せにいきんで痛い思いをしたので何回か逃しました。
「本当に大丈夫だから(私を信じて)いらっしゃい」位のことを言われ(た様な気がします)、やっといきむと
何と1回の陣痛の波でしゅるしゅるしゅるっと出てきたのです。
(やっぱりいきんだ時に「痛い痛い」と声を上げてしまいました。でも2人目の時の痛みとは痛い箇所が違います。)

生まれてまだへその緒がついている赤ちゃんを抱くと「お母さん性別どっち?」と訊かれました。
上2人は男の子。
妊婦検診のエコーで女の子と言われても半信半疑。
実際見ても自信が持てず「・・・・・・女の子、ですか?」と聞いてしまいました。

結局陣痛は4時間と記録されました。
間隔が遠のくとそれ以前のものは前駆陣痛で本番の陣痛ではない扱いになるそうです。
何と大半は前駆陣痛とな。

2012年11月29日20時7分
3246gの待ちに待った末っ子長女の誕生です。