大山崎駅から大阪方面に向かう電車に乗車し、次の場所へ向かいます。
上牧駅の先までJR東海東海道新幹線と併走します。昭和初期に京阪電車系列の新京阪鉄道が高速運転を前提に建設したのが現在の阪急電車の京都本線(京阪京都駅改め大宮駅~天神橋駅改め天神橋筋六丁目駅間)ですが、さすがに
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/165.gif)
で、次に向かおうとしたのは崇禅寺駅の南方駅方にあった歩道橋だったのです。が・・・
「次に向かおうとした」とか過去形の表現に含みがあるところですが、、淡路駅付近の連続立体化工事に伴い、線路の付替や支障する構造物の撤去がなされていて、件の歩道橋がなくなっているのが車内から確認できましたので、急遽崇禅寺駅では降りずにそのまま乗車することに行程変更です。
ちなみに件の歩道橋では2010年にこんな感じで撮影しています。
崇禅寺駅~南方駅間にあった歩道橋から俯瞰気味で撮影した2300系2315の阪急梅田行き普通 2010年2月25日撮影
右側は柴島浄水場です。
で、運転台の後から眺めながら十三駅で下車、東出口を出て南方駅方面にてくてくと・・・
駅の近くにはいかがわしい店があったりしますが、どことなく昭和の雰囲気を残す町並みですね。
で、踏切ごとに撮れそうかどうか試し撮り・・・
十三駅から2つ目の踏切にて9300系9401の河原町行き特急
編成の後が収まらないのがね・・・
ちなみにこんな名称の踏切です。
“女子職”の由来ですが、付近にある“英真学園高校”の最初の学校名である“大阪高等女子職業学校”から来ているようです。
踏切の名称は、予め警察に申告しなければならず、一度定めてしまうとなかなか変えられないそうです。JRや関西の私鉄では近隣の施設名を付す場合が多いですが、関東私鉄では起点または起点側の駅からの通し番号となっていることが多く、立体化などでの踏切廃止などで欠番ができたりしてもなかなか番号の整理ができず、苦慮しているらしいです。
話が脱線しましたが、“女子職踏切”から南方駅方へ移動すると、フェンスの段差から撮影できる場所を発見・・・
5300系5323の阪急梅田行き普通
パンタグラフの後がすっきりしないのが残念です。
1300系1302の阪急梅田行き普通
阪急電車で大阪方先頭車の先頭寄りにパンタグラフがないのは、1978年まで導入されていた6300系以来ですね。
2300系2313の阪急梅田行き準急
4枚上の5300系とドコが違うねん?と突っ込まれそうですが、屋根のカーブが違う(非冷房車として導入された2300系と、冷房車として導入された5300系の違い)とか、車体幅が違うことなど、見分けが付くでしょうか?
このあとは、↑の折返しを撮るべく、こんどは更に南方駅方向へ移動します。
“宮操筋”とは、ここより北側に進んだ先に国鉄の宮原操車場があったからでしょうか?
ここで撮ろうとするものの、なんとなくしっくりこないので更に南方駅寄りに・・・
1300系1402の北千里行き普通
こんな感じに2300系も撮るつもりだったのですが、対向車が来てしまい撃沈・・・
この後は南方駅から次の場所に向けて京都方面に向かう電車に乗車します。
次回以降へ続きます。