京王れーるランドの保存車たち②デハ2015 | ヘタレ車掌の戯言

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京王れーるランドの保存車シリーズその②として、今回はデハ2015号車についてです。
$ヘタレ車掌の戯言-京王2015 京王資料館 2012.4.8 ①
京王研修センター時代のデハ2015 2012年4月8日撮影

2010系は、1957年に導入された京王線初のカルダン駆動車2000系を基にし、性能面を改善しつつも経済性を追求して1959年から導入された電車です。
2000系が全電動車方式を採用したのに対し、2010系では主電動機の出力増強などにより、付随車を組み込んでも2000系と同等の性能を有するものとし、また、将来の地下鉄直通などに備えた改軌(軌間を都電由来の1372㎜から世界標準の1435㎜へ変更)に備えた台 車を装備していました。
$ヘタレ車掌の戯言-京王2015 KH14A台車 京王資料館 2012.4.8 ①
デハ2015のKH14A台 車
カルダン駆動の電車ですが、車輪はクラシカルなスポーク車輪です(笑)
$ヘタレ車掌の戯言-京王2015 KH14A台車 京王資料館 2012.4.8 ②
わかりにくいかとは思いますが、片側車輪を31.5㎜ずつ外側へずらせるように寸法どりされていました。
$ヘタレ車掌の戯言-京王デハ2010形輪軸 京王資料館 2012.4.8
京王資料館に保存展示されている2010系の輪軸装置(車輪と車軸と駆動装置)

そんなメカ的なことよりこの2010系を強烈に印象付けたのは、新造の先頭車と14m車体の旧型車を改造した付随車を組み合わせた編成構成でしょう(笑)
これは1963年に予定されていた架線電圧昇圧(直流600V→1500V)に対応した車両計画において、京王電気軌道時代からの車両(14m車体・手動加速式)は一掃する方針となっていたことと、そんな中で1両でも多くの電車を必要としていた事情から、新造車導入によって本来代替対象となる在来車を電装解除及び中間車化、貫通路設置や室内灯などの低圧回路を変更し、新造車の中間車として使用することになったものです。
1959年に導入された1次車は、パンタグラフの位置と強烈な編成(笑)以外、2000系と同様の外観でしたが、1961年に導入された2次車は前照灯がシールドビーム2灯となり前面に方向幕を設置、側面も窓枠が無塗装アルミサッシとなり、精悍な印象となりました。が、中間に組み込まれた付随車は1次車の時よりも古いダブルルーフの車両が種車となり、新造の先頭車と改造の中間車のギャップがより一層大きくなりました。車内も当時の国鉄101系を意識したのか、座席端の肘掛と網棚(このグループからパイプ棚)を一体化したものとなり、後に登場する5000系井の頭線3000系の車内の基になっています。
$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド 2015車内 20131006①
デハ2015号車の車内
京王れーるランドに保存されているデハ2015号車は、この2次車として1961年に導入された車両です。

1962年には3次車と4次車が導入されました。3次車は2次車とほぼ同様の形状に見えますが、屋上の通風器が当時の国電でお馴染みのグローブ型となり、車体裾の丸みがなくなりました。
4次車は3次車と同様の外観ながら中間の付随車も先頭車に合わせた新造車体となり、2010系で初めて外観が整った編成となりました。

1963年の昇圧に併せてアイボリー塗装の5000系が登場し、グリーン塗装の2010系は一気に“古い電車”と見られてしまうことになるのですが、同年10月からの特急運転開始に向けて、5000系だけでは特急運用を回せないことから2010系とツリカケ駆動の2700系の一部がアイボリー塗装に衣替えしています。但し、旧型車改造中間車を挟んだ編成は除外されていました。
1694年以降、旧型車改造の中間車は、車体新造あるいは2700系からの改造車に置き換えられることになり、1968年を以て特徴ある編成形態は消滅しました。
5000系の増備により、2010系など本来グリーン塗装の車両が特急に充当されることもなくなってきたことから、1971年までにグリーン塗装に戻されていきました。ちなみにデハ2015号車は1966年まで旧型車改造中間車と組成されていたため、アイボリー塗装になることはありませんでした。

1970年代になると、京王線の普通は6両編成が基本となり、4両編成が基本の2010系は常時2700系2000系と併結されるようになりました。また、2700系と組成されていた編成の一部は、中間に入る乗務員室を撤去し、完全な中間車の形態となっていました。
1981年以降、2700系改造中間車の廃車と2700系2000系の廃車により、2010系のみで6両編成を組成することになりましたが、長くは続かず、1984年に全車廃車となっています。
$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド 2015M台 20131006
デハ2015運転台

京王帝都電鉄では、最後のグリーン車両ということで2010系の2次車トップの新宿方となるデハ2015号車を解体せずに若葉台車両基地で保管していました。とはいうものの、伊予鉄道譲渡車(3・4次車を中心に18両が廃車後四国の伊予鉄道に譲渡され、800系として2010年まで活躍していました。)に主制御器を提供することになり、床下の主制御器があるはずの部分はポッカリと空いてしまっていました。

その後、1998年の会社創立50周年事業として、2400形デハ2410号車や5000系クハ5723号車とともに京王研修センター敷地内で保存されることとなりました。保存に際しては、失われてしまっていた主制御器を型式は異なるものの6000系廃車発生品で代用し、とりあえずは復活させた格好になっています。
$ヘタレ車掌の戯言-京王2015 主制御器 京王資料館 2012.4.8
実は6000系用の主制御器
$ヘタレ車掌の戯言-京王2015 主制御器銘板 京王資料館 2012.4.8
その銘板には6000系回生車用の型番と51-7という製造年月が…

この度の京王れーるランド展示に際しては、車内連結面の貫通路塞板付近に床置き形のクーラーユニットが設置されていますが、子供の指挟み防止という観点からか窓は全て開かないように固定されていて、日除けカーテンも全て撤去されています。また、窓ガラスも破損防止のためか、フィルムが貼られています。
$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド 2015車内 20131006 ②
貫通路にクーラーユニットが…

$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド 2015扇風機 20131006
“バンザイマーク”とも言われていた旧社章入りの扇風機

$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド2015M室扇風機
乗務員室の扇風機にも“バンザイマーク”
$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド2015車内スピーカー 20131010
KTRとあしらわれているのわかりますか?
$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド2015C用EBボタン 20131010
車掌非常ボタン、すなわち車掌がホームでの接触などを発見した際などに、電車を急停車させるブレーキのボタンです。車掌が緊急事態で扱うブレーキがボタン操作なのはあまり例がないですね。
$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド2015側面車号 20131010
現在、京王の電車では車両番号が戸袋窓上部あるいは戸袋上辺付近(戸袋窓のない京王線9000系井の頭線1000系)に表記されていますが、窓上になったのはこの2010系2次車からです。

$ヘタレ車掌の戯言-京王れーるランド2015側扉 20131010
最近はあまりこういう扉も見かけなくなりましたね~

この電車は、ワタクシが電車好きになった原点の車両だけに、長くなりすぎましたね(笑)
本来は伊予鉄道譲渡車と、伊予鉄道から銚子電気鉄道へ渡った車両のことも書きたかったのですが、それはまたの機会に・・・
$ヘタレ車掌の戯言-伊予鉄821 衣山~西衣山間 199202
伊予鉄道に譲渡され、800系モハ821号車となっていた2010系デハ2072号車
伊予鉄道高浜線衣山~西衣山間にて1992年2月撮影