5日の夜から出かけておりました。
なうでもちょこっと書いていましたが、往路は夜行高速バスです。
利用したのは、東武系の東北急行バスと近鉄バスの共同運行である、“フライングスニーカー号”です。
土曜日だからか、2台での運行でした。
大阪駅前(東梅田)でバスを降り、地下鉄谷町線で天満橋へ・・・
今後、撤去予定とのことですので、興味のある方は今のうちに記録しておきましょう。
天満橋駅では京阪電車に乗り換えです。
なうでちょこっと載せたコレですが・・・
京阪電車某駅にあったメッセージボードです。
京阪電車の駅には、このような駅員から乗客へのメッセージを書くためのメッセージボードが用意されていて、お勧めの行楽ポイントや、受験シーズンには受験生へ励ましのメッセージなどが書いてあったりで、思わずほっこりした気持ちになったり、ニンマリさせられたりします。
某社で春と秋に強調月間とやらを定めてやっている、やらされている感ありまくりな運動よりもよっぽど和ませてくれると思います。
ちなみにコレは昨年9月某日某駅です。
なぜ京阪?
暮れに富山でこんなのをストーキングしていたというのもありますが・・・
“実家”である京阪電車では、唯一残った旧3000系(現・8000系30番台)1編成が今年度限りということで、昨年9月より前面スタイルを往年の仕様に近づけたクラッシックスタイルで運行されており、前回関西入りした時にはイベント対応で運用されていなかったということもあり、青春18きっぷ消化を兼ねて京阪だなと決定した次第です。
現在、京阪電車の公式HPに、旧3000系運用スケジュールが掲載されていますので、乗りたい方や撮りたい方は運用を確認してお出かけしましょう。
当日の運用では、淀屋橋駅7:30発の出町柳行き特急で来るとのことでしたので、マクドで朝食を摂ってどこで撮るかを思案しながら乗車します。
まぁ、その他にも浮気心というものが出てきまして、中書島駅でとりあえず宇治線にお乗換えです。
宇治線は今まで2600系ばかりだったのですが、昨年、最近型の13000系に代替され、今は13000系ばかりが運用されています。
まずは宇治線
観月橋駅~桃山南口駅間の線路の南側は宇治川と山科川が流れていて、その土手からだと柵を気にずに撮影できます。画像は13000系13003の宇治行き普通です。
13000系は、編成組成に凡長性を持たせられるようになっていて、、2編成つないだ8両編成組成時に、前面の貫通扉に貫通幌を装着して編成間を行き来きできるように作られています。(通常は貫通幌関係一式を外してある)
ちなみに、貫通幌接続が可能なのは、奇数編成の大阪方と、偶数編成の京都方のみで、こちらには連結運転の際に必要なジャンパー栓も設置されています。
こちらは幌接続可能な側の13000系13002の宇治行き普通
スカート周囲に注目
同じ場所で反対側から・・・
13000系13054の中書島行き普通
宇治線や交野線などの支線で運用することも考慮し、ワンマン運転にも対応して作られていますが、現・3000系の設計思想を受け継いでおり、パンタグラフが廃車発生品だったりするものの、支線用だからとレベルを落して作られているとか、そういうことは全くありません。
ワタクシの地元の某支線は、バリアフリーとは無縁なロートル電車ばかりが運用されており、支線にもこのようなすばらしい電車が入る京阪電車がうらやましいですね。
このあと、中書島から御殿山駅に向かうことを考えたのですが、途中で旧3000系とすれ違いになってしまう可能性を考え、橋本駅で降りて、樟葉駅方向へ向かうことにします。
最初考えていた踏切には、先客の方が何名かいたのでちょっと難しいと判断し、一つ駅寄りの踏切で撮ることにしました。
スカートに踏切の障検センサーがかかっているし、一番後ろが架線柱に隠れているし・・・
この後は御殿山駅に移動し、牧野駅寄りの踏切で撮影です。
前面の車号の“3006”は、1995年の車体改修前の番号で、現在の車号は、車掌側の下端に小さく“8081”と入れられています。
この後は御殿山駅の枚方駅寄りにある踏切へ移動~
モロに前面が逆光気味ですので、若干補正してあります(笑)
こちらは前面の車号が“3505”になっていますが、本来の車号は“8531”です。
ちなみに現在の3006
中之島線開業時に、中之島線直通快速急行用として導入された現・3000系は、現行ダイヤでは淀屋橋駅発着の特急に充当されています。
現行の停車駅から考えると、8000系の代替が考えられる頃になると、2扉ではきつく、このような3扉のクロスシートになるのではないかと思われます。
この後は、京都方面に向かい、名神高速の下にある藤森駅へ移動~
余談ですが、名神高速を走るJRハイウェイバスの京都深草停留所へは、この藤森駅が最寄り駅となります。
まるで間違い探しですね(笑)
ちなみに、9月16日と1月6日は全く同じ運用でしたので、同じ場所で撮影している画像は時刻も同じです。
9月と1月で影のかかり方とかが変わってきますが・・・
この後は光善寺駅に移動~
日差しが出たり陰ったりで、露出や感度の調整が・・・
で、またまた2012年9月16日の8081
京阪電車では2400系の車体改修から前面形状をかなりいじるようになり、1000系の車体改修では、乗務員室拡張のために前頭部を延長してまるっきり新しい“顔”を作るまでになりましたが、旧3000系の車体改修では、一転して前頭部は原型の美しさを残して必要な改修をするという方針となりました。
もちろん、車内は8000系に準じたものとし、走行機器や運転台も性能的には8000系同然に改修されてはいますが・・・
乗客視点で一番化けたのは、やはりダブルデッカー車組込みでしょうか・・・?
ちなみにダブルデッカー車は、車体新造あるいは新車として導入したものではなく、通常構造の中間車を京阪電車寝屋川車両工場で改造して作ったものです。
このダブルデッカー車が好評で、8000系にも8両編成化に際して新造車として組み込んだのは周知の通りです。
こちらも記録はいまのうちに・・・
1957年に登場した1650形から半世紀以上続いた緑の濃淡カラーも、2008年からの塗装変更により、数が少なくなってきました。すでに、5000系以降の系列と2200系では消滅し、2600系も全車旧塗装という編成は消滅、現在は1000系と2400系が数本旧塗装で残り、2600系の旧塗装車はいずれも新塗装車との混結になっています。塗装変更を開始して5年近く経つのに、未だに旧塗装があるのが意外と言えば意外ですが、これは新塗装へ移行後も、寝屋川車両工場内に旧塗装用塗料のストックが大量にあったからと言われています。本来ならすでに消滅しているはずの旧塗装ですが、残りも少なくなってきましたので、記録できるうちに記録しておきましょう。
6日の撮り鉄活動は、光善寺で終了して京都方面に向かい、、丹波橋駅で近鉄電車に乗り換え、京都駅からJR琵琶湖線(東海道線)へ乗り換え、浜松駅まで向かいます。
この時乗ったのは、京都駅から米原行き普通、米原駅からは豊橋行き新快速、豊橋駅からは浜松行き普通で、浜松駅付近のネットカフェで一泊しました。
7日の件は後日へ続きます。