腹腔鏡手術 | チャックの産後ダイエット記録(腹膜中皮腫闘病記録)

チャックの産後ダイエット記録(腹膜中皮腫闘病記録)

産後ダイエット記録でしたが
突然希少がんになりました。

闘病記録として、残したいと思います。

2024年5月末


次の週に腹腔鏡手術が決まり

滋賀県から帰って来ました。

翌日は子供達の運動会でした。

腹水でお腹パンパンで数週間寝たきりで

過ごしていて体力もなくフラフラで

家族には行くのを止められましたが

もしかしたら運動会を見るのはこれで

最後になるかもしれないと無理やり

見に行きました。


どうしても見たかった種目は1つずつ

見ることが出来ましたが途中で具合が

悪くなり泣く泣く帰りました。

運動会は半日で終わるのに2時間ほどしか

見ることが出来ませんでした。

帰って家で1人になると辛くて泣きました。


次の週は腹腔鏡手術があるのですが

お腹が苦しくて移動が大変なので

とりあえずかかりつけの病院で

腹水を3リットル抜いてもらいました。

腹水を抜くと急にお腹が空いて来て

歩くのも大変だったのがスタスタと

歩けるのでやっぱり腹水の影響はかなり

ありました。すごく楽にはなりますが

何回やってもあの太い針を

刺すのは緊張します。

いつも心拍数が上がります。


手術の前日に入院になり夫と一緒に行きました。

子供達は妹が見てくれる事になりました。


手術前日は絶食で歯科検診を受けました。

数日でまた腹水が溜まっていたの

初めてCARTをする事になりました。

手術は全身麻酔でCARTも

その時するとのことでした。


手術当日 腹腔鏡手術は2時間の予定でしたが

CARTもあったからか3時間ほどかかりました。

腹腔鏡手術は開腹手術より楽と聞いていたので

あまり緊張していませんでした。

歩いて手術室まで行きなんだかドラマみたいと

キョロキョロしながら手術台に乗り

あっという間に麻酔で意識が無くなりました。


起こされて目が覚めると同時に吐き気が

襲って来ました。顔を横に向け「吐きそう」と

言うと顔の下にビニールを敷いてくれました。

前日から絶食のため吐かずにすみました。

しかし気持ち悪いしビニールがあるため

暑いしでパニック状態でした。

冷や汗で身体中気持ち悪かったです。

ベッドに移されて病棟に戻って夫と

会いましたが気持ちが悪すぎて寒いのか

暑いのか呼吸が乱れて夫と会話が

出来ないほどでした。

おそらく麻酔が合わなかったのだと思います。

2時間ほどで落ち着きやっと

話せるようになりました。

結果は組織は無事に取れて小腸に腫瘍が

なさそうなので腹膜切除手術が受けれそうと

夫から聞きました。

手術が出来ることになって安心しましたが

手術の怖さはかなりありました。


その日の夕方前仕事もあるので

夫には家に帰ってもらいました。


CARTで抜いた腹水は5リットルほどで

お腹に戻す分が戻って来ました。

濃い緑色で1リットル?ほどありそうでした。

点滴で戻しました。


次の日気持ちの悪さは全くなく

調子はよかったです。

術後の痛みも帝王切開に比べたら

20分の1くらいで全然楽でした。

ご飯も完食出来るくらいでした。

先生が来て手術の予約が一ヶ月後取れたと

知らされました。


とうとう手術日が決まりました。


数日後先生に頼み腹腔鏡手術の時の

説明をしてもらいました。

画像を見ながらでしたがお腹の腫瘍は

衝撃的でした。

こんなものがお腹にあるのか…

まとまっているもの、

小さい水疱のようになって

パラパラ散らばっているものも

「これ…全部取れるのですか…?」

思わず先生に聞きました。

「腹膜に散らばっているものは

腹膜を剥がすのでほとんど取れます」

そして卵巣、子宮全摘。大腸、直腸を一部とる

可能性があるそれはお腹を開いて

見ないとわからない。人工肛門の可能性も

ありますと説明がありました。


アスベストさえ吸ってなければ

自分は健康だったのに…

いつ?何が原因なの?

治療しなければ来年の誕生日は無理。

手術して治療しても5年後生きていられるか

分からない。

せめて子供が成人するまで生きたいのに…

全然足りない…


まだ自分は病気を受け入れることが

出来ずにいます。