人生が変わった日 | チャックの産後ダイエット記録(腹膜中皮腫闘病記録)

チャックの産後ダイエット記録(腹膜中皮腫闘病記録)

産後ダイエット記録でしたが
突然希少がんになりました。

闘病記録として、残したいと思います。

2024年4月25日


私は現在43歳 フルタイム勤務(休職中)

夫 アラフィフ

小学生の子供が2人いる田舎の平凡な主婦だった

自分の人生が変わった日になってしまいました。


今思えば、ことの始まりは

去年の11月だったかもしれない。


職場の上司が亡くなり残された職員で

大量の仕事を引き継ぎもなくやる事になった。


そのストレスからか胃痛がずっと治らなかった。

しかし仕事が忙しいすぎて病院へ行けなかった。

そして体重も増えた。


今年の4月にやっと業務も落ち着き、

まだ胃痛もあったので病院へ行く事にした。

この時太りすぎてお腹がぽっこり出ていた。

ダイエットして食事量も減らしていたのに

体重は増えた。

以前胃カメラをやったことのある胃腸科へ

行ったが話だけで

胃薬をもらっただけで終わった。

しかしこの時何かおかしいと感じていました。


いつも定期的に通っている婦人科に2日後に

行く予定だったので先生に相談してみました。

そこでお腹のエコーをしてみましょうとなり

エコーをあてた瞬間先生がとまりました。

「…これは大量の腹水があります。」

そこからは大慌てで

「ここでは分からないので

すぐに大きな病院へ行ってください。

出来れば今日、無理なら明日。

出来るだけ早い方がいいです。」

先生の様子からこれはただ事ではないと

感じました。


次の日会社を休み紹介された中規模の病院へ

行ってCTを取りました。

そこでも大量の腹水が確認され

ここでは判断出来ないのでさらに大きい病院を

紹介され今すぐ行ってくださいと言われ

その足で県内の医療センターへ行きました。


この段階でここまで急ぐのは本当に

酷い病気なのか不安でたまりませんでした。

と同時にこれは本当に自分に起こっていること

なのか不透明なふわふわした感情の中

現実味がない不思議な感情がありました。


医療センターに到着後すぐに色々な検査が

始まりました。

尿検査、血液検査、心電図、レントゲン、

CT、胃カメラ、婦人科でエコーもしました。

さらに腹水も抜いて

病理診断に出しました。

検査結果は腹水以外は異常なし

卵巣が少し腫れているくらいでした。

腹水の原因は分かりませんでした。

この時点で腹水は5リットルは

あると言われました。


後日MRIと大腸カメラをする事になり

検査をしました。

先日の胃カメラもそうでしたが腹水が大量に

あるため胃カメラ、大腸カメラとも非常に苦しく

今までで1番苦しい検査となりました。

検査結果は異常なしでした。


腹水の検査結果待ちではありましたが

卵巣がんによる腹膜播種の疑いで

腹腔鏡手術を受ける事になりました。

しかし後日腹水の検査結果が出て中皮腫の

疑いが出て来て手術は中止になりました。


中皮腫と聞いてがんじゃなくてよかったと

初めは思いましたが携帯で検索して

希少がんであること予後が非常に悪く

ろくなことが書いていませんでした…。

私はすぐ死ぬの?

自分に起こったことが受け入れることが

出来ず隣で絶望する夫に何故か

明るく振る舞っていました。


その頃お腹は腹水でパンパンになっており

ご飯を食べるのも苦しくなっており

待合室でも座っておれず

常に横になっていました。


消化器内科の先生が来て

中皮腫は非常に少なく

こちらの病院ではどうすればいいか

分からない状態です。

と言われ腹膜中皮腫で実績のある

滋賀県のO医療センターを紹介され

セカンドオピニオンを受けることに決めました。


家に帰って病気を受け入れられない私に変わって

夫が必死になって病気を調べてくれました。

セカンドオピニオンの予約も

全てやってくれました。

事情を説明した母もあちこちに詳しい人が

いないか調べてくれました。


結果、兵庫県のH医科大学と

滋賀県のO医療センターの2箇所に

セカンドオピニオンに行くことを決めました。

両方とも高速で4〜5時間は軽くかかる距離で

移動はとても大変でしたが行く前に

数回腹水を3から4リットルほど抜いてもらい

なんとか行くことが出来ました。

(腹水は1週間もかからずに元に戻りました…)


H医科大学ではまず治療について丁寧に説明を

していただきましたが余命宣告がありました。

「現状のままでは今年の誕生日は普通に

迎えられますが来年は誰にもわかりません。」

と言われました。

こちらで治療をするのでしたら

受け入れられますがその場合は

環境を整えてなくては行けません。

抗がん剤治療は定期的に通う必要があるので

兵庫県に引越しする必要はありました。

子供もいるしお金もそんなに余裕はないし

現実的ではありませんでした。

最後に石綿(アスベスト)健康被害救済制度の

説明がありました。


次の週にO医療センターへ行きました。

セカンドオピニオンで行きましたが

そのまま診察していただく事になりました。

現状まだ腹膜中皮腫と確定診断が

出来ていないのでまず腹腔鏡手術で

組織をとって診断を確定すること。

その時に手術できる状態か確認してくれること

になりました。術前検査をして家に帰りました。



この時点で人生が変わった日から

ちょうど1ヶ月でした。