お立ち寄りありがとうございます。


ゴールデンウィーク期間は

ここ数年

先達へ向けた修練日が

設けられるようになりました。


今年は錬成会とのことで、

どのような鍛練の場になるのかと

ワクワクしておりました。


様子としては

師匠からの課題以外は

本人の自由に任せられ

御本尊の前で勤行を行うものでした。


修験勤行次第に沿って次第を組み立て

作法も行ジル


難しい…


今まで「デキル」と思い込んで

流していたことがデキナイと

知る。

間違ってた…と

知る。


恐ろしい…。



しかし、

イヤでも自信が無くても

わからなくても、出来なくても、

進めなければならない

この行は、


確実に自分との戦い

内観しかない世界


Y先輩の「腹くくったわプンプン」の

言葉そのもの


そう…

腹をくくると

楽になる


デキナイ事を認めるのは

恐い、恥ずかしい、悔しい…


けど、

隠していてもデキナイのだから

自分に思い知らさねば、

この先もずっとデキナイ。


その方が

恥ずかしいし悔しいし

恐い。


先達として

このお経をあげる意味

あげない意味

この真言を使う意味や使わない意味


この作法がなぜこちらが先なのか

後なのか…


宗派の違い袈裟筋の違い

考え方の違い

などなど、


なぜそうなのか知らなかったら

説明できない…。



人に聞かれて説明できなければ、

神仏への礼儀としての筋に確信もなく

自分への納得にもならない。

そんな宙ぶらりんの根拠のない自信は

いずれ崩壊する(恥をかく)


だったら下っぱのうちから

腹をくくれと…爆笑

そりゃそーだ

出来なくて当たり前だから許されるうちに


これで昇格してしまっていたら…ガーン

想像すると恐いよ。




私しも修験者として

やっとスタートラインに立てた身。


優秀な修験行志願者が

ウォーミングアップしてるのが

見える…、見えすぎる…

走る人走る人走る人走る人馬走る人走る人


先輩としては抜かれないように、

同胞としては常に励まし合いのある関係でいられるように。

己の人間性を育てて行きたい。



私は曼荼羅小屋が好きだ。

集う人は皆同じ思いを少なからず有していて、共通する意があると思うからだ。


共通する何かがあると言うことは

ない人たちよりは濃く

共鳴できる集まりだと思っている。


この共鳴のシンクロ率を上げた祈りは

一人一人が微力であっても

大きな力になる。


その為には先達が形として模範や器にもならなきゃだし、場や状況に応じ柔軟に変形も出来な来ればならない。 


その形は

己にでもあり

他者にでもあり

組織にでもあり

神仏への祈りでもあり

照らし合わせられるのだとおもう…。


だからこそ自然の摂理

森羅万象は真理なのだとおもう。







付録


Aさんは凸の教えが一番イイという

Bさんは凹の教えが一番イイという


凸も凹も真理を語っているとして

どちらが一番いいのか…


Aさんのいう凸の素晴らしさを

教えて頂き熟知して、

やっとAさんの訴える一番イイをしる。

または、

Bさんのいう凹の素晴らしさを

教えて頂き熟知して、

やっとBさんの訴える一番イイをしる。


Aさんの凸の教えを確りと

身に付けられていれば、

Bさんの凹の教えが真理かとう事は

Bさんの教えがなくとも気がつく。

逆も同じ


Aさんの凹の教え

Bさんの凸の教え

だとしても同じだ



それが真理


曼荼羅通信





三礼筋肉痛です…。