「もう、あなたに用は無いわ。...つまり、賞味期限切れなのよ。」
亜紀恵は淡々たとした口調でそう言うと、解約書類の入った封筒を翔子に差し出した。
オフィスビルの12階にある、モデル事務所。
今日の朝、電話で呼び出された翔子は、嫌な予感を抱きつつ事務所にやって来たが、その予感は的中した。
翔子は封筒を黙って受け取ると、事務所の社長である亜紀恵に向かって言った。
「随分な言い方ですね。..曲がりなりにも8年間、私なりに精一杯やってきたつもりです。それなのに、まるで廃棄処分のコンビニ弁当みたいに言われるなんて酷すぎます!」
翔子の目には悔し涙が溢れ、今にもこぼれ落ちそうになっていた。
それでも亜紀恵は表情ひとつ変えず、淡々と言葉を続けた。
「その解約書に目を通してもらって、承諾したら署名、捺印して同封の返信封筒で事務所に送ってもらったら、それで全て完了よ。...遅くても今週中には届くように頼むわね。」
亜紀恵は、そう言うと社長室のクローゼットから革のコートを取り出し、「それじゃ、ごくろうさま。」と言って部屋から出て行った。
唖然として立ち尽くす翔子に、部屋にいた社長秘書兼ボディーガードの田川が言った。
「ここは社長室です。...さぁ、部外者は出て行ってください。」
追い打ちを蹴るような田川の言葉に、翔子は返す言葉も見つからず、ただ睨みつけると、社長室から一目散に出て行った。
エレベータ―を待つ気にもなれず、非常階段を使い駆け下りてゆく翔子。
ものの1分ほどで地上まで一気に下りると、事務所ビルのエントランス前から運転手付きの専用車に乗り込もうとする亜紀恵社長と遭遇した。
亜紀恵は翔子の存在に気づいたが、立ち止まることなく後部席に乗り込もうとした。
翔子は腹の虫が治まらず、離れた所から大きな声で言った。
「あなた、きっといつか後悔するわ!...私を不要なゴミのように捨てたこと、絶対後悔するわよ!」
睨むように亜紀恵を見つめ、そう言い放った翔子、に、亜紀恵は不敵な笑みを浮かべ一瞥すると車に乗り込み、去っていった。
翔子は手に持っている解約書類を破り捨てたい気分だったが思い留まると港のほうへ走り始めた。
歩道をすれ違う人たちが、涙目で走ってゆく翔子を見て、不思議そうに振り返っていた。
15分ほどで港に着くと、翔子はフェリー乗り場へ行き、乗船する人々を見つめた。
「いいなぁ。...私も、どこか知らない所へ行きたい。」
事務所から突然見放された翔子は自棄を起こし、そんな気持ちでいっぱいだった。
その時、携帯のベルが鳴った。
「はい。もしもし...」
「よう。...元気か?..俺だよ俺。」
「オレオレ詐欺なの?」
「何言ってんだよ。...松本だよ。」
「松本?...もしかして純平さん?」
「そう。そのとおり!」
翔子の大学時代の友人から突然の電話であった。
「翔子ちゃん、大学時代から携帯番号変わってないんだな。...まさか繋がるとは思わなかったよ。」
純平は嬉しそうに笑いながら、そう言った。
「今、どこ?...俺さ、一人旅している途中でさ。...今、翔子ちゃんの地元付近にいるんだ。会えない?」
「そうなの?...今から1時間後ぐらいなら会えるよ!」
翔子は喜んでそう答えると場所と時間を約束をし、通話を終えた。
陽が傾き始め、北風が強くなってきた頃、翔子は、すでにタクシーで落ち合う場所に着いていた。
翔子より2分遅れでやって来た純平の爽やかな笑顔を見て、いつしか嫌な事も薄れていき、翔子の顔には、いつもの優しい笑顔が戻っていた。
純平と久しぶりの再会を祝し握手をした時、翔子は、以心伝心で、なにか運命的なものを感じたのであった。
懐かしのヒットナンバー
中村雅俊 「想い出のクリフサイド・ホテル」