ショートストーリー639 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
心なき誹謗中傷を連日のように受けながらも、アケミは笑顔で映画の撮影に臨んでいた。。。


アケミは昨年の春、所属事務所の社長から一人の青年実業家を紹介された。無論、交際相手としてではなく、夏からスタートする新規事業の担当者としてであった。


新規事業とは、将来、女優やタレントを目指す若者達にダンスや歌などのレッスンを施すスクールのことである。


そのレッスン生の中から優秀な者を事務所専属として採用し、芸能界へ売り出そうという目論見であった。


そのレッスンスクールを一から手掛けるよう、社長から任されたのが鷹岡であった。鷹岡は25歳の時に起業し、人材派遣業やタレント育成事業を展開していた。


その優れたノウハウに惚れこんだ社長がある日、鷹岡のもとを訪れ、オファーを出したのであった。

今年、還暦を迎えた社長と親子ほどの年の差がある鷹岡を、社長は、いたく気に入り、打ち合わせ後は決まって飲みに連れ出していた。


そんなある日。。。

来春公開予定の映画の主役に抜擢されたアケミは、深夜3時に撮影を終えて帰宅すると、自宅電話に珍しく留守電が録音されていることに気づいた。


仕事関係者や友人には携帯番号を教えているので、自宅の固定電話には、ほとんど掛かってこない。自宅の電話にかけてくるのは、故郷の家族ぐらいであった。


「また、爺ちゃんが入院でもしたのかな?...」

アケミは疲れて重い足を引きずるように歩き、ソファーに座ると、そのまま仰向けになって目を閉じた。


「お前は、台詞が空回りしてるんだよ!金払って観に来る人に、そんな学芸会みたいな芝居を晒すつもりか!?」

昼間の撮影時、助監督から浴びせられた罵声が、アケミの耳の中で甦っていた。

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監督の村坂はアケミの演技を高く評価し、親切に指導もしてくれていたが、三日前から急性アルコール中毒で入院した為、代わりに助監督の花川がメガホンを握っていた。


花川は業界では遅咲きの部類で、自分より10歳年下である村坂の下で溜め込んでいた鬱憤を、まるでアケミにぶつけているかのようであった。


「もう、やってられないわ。...でも、私が音を上げて役を投げ出したら、花川の思う壺。..監督が戻ってくるまでの辛抱。..あんなヘボ助監督になんて絶対に負けないから!」


アケミは目を瞑ったままそう呟くと、立ち上がってシャワールームに向った。。。


翌日、昼前に目覚めたアケミは、すっかり忘れていた電話の留守録を再生させた。歯ブラシで歯を磨きながら耳を澄ますと、聞きなれない男の声が入っていた。


「あぁ、初めまして。...私、鷹岡と申します。梶川社長さんとお酒をご一緒させて頂きまして、今しがた別れたところです。..いやぁ、社長さんから唯崎アケミさんのこと、いろいろお聞かせ頂いて、すごく感銘を受けましてね....」


酔っている鷹岡の口調は滑らかではあるが、アケミには長々しく、そして鬱陶しく感じられた。


「なに言ってるの?この人。...会ったこともないのに、いきなり自宅にかけてくるなんて。..」

アケミは、せっかくの清々しい目覚めを台無しにされたような不快な気分になった。


何事にも潔癖すぎる性格のアケミは、図々しく厚かましい鷹岡が大嫌いであった。確かに実業家としての才覚には非凡なものがある男だが、人の心に対する配慮や思慮に欠ける一面があった。


この日の夜、アケミは事務所の社長に初めて怒りをあらわにした。アケミの承諾を得ずに、鷹岡に自宅の電話番号を勝手に教えたからであった。


アケミの訴えに対し煮え切らない社長の態度。そんな社長を見て、アケミは半ば失望していた。

「私は、こんなにも軽薄で非常識な人物の下で、超多忙な仕事をこなし頑張り続けてきたのか?...」

アケミの怒りを真摯に受け止めようとしない社長の脂ぎった顔を見つめながら、アケミは内心そう呟いた。。。

結局、社長からアケミに対し、謝罪の言葉はなかった。


数日後...。

ドラマの撮影も一段落し、アケミが夕方、久しぶりに事務所に戻ると、ちょうど鷹岡が事務所から帰るところであった。


アケミは本心を顔に出すことなく、にこやかな表情で挨拶をした。鷹岡は、まるでホストのようないでたちで香水の匂いをプンプン漂わせていた。


通話や留守電で受けた印象が、実際に本人と会って更に悪くなったというケースは、この鷹岡が初めてであった。



この日以来、アケミは、ことあるごとに鷹岡から食事や映画、ドライブなどに誘われるようになった。

アケミは、ありもしない予定を鷹岡に伝え、頑なに断り続けた。


そんな日々から数ヶ月が経ち、アケミは、この事務所所属の女優としては最後の仕事と決めていた映画のクランク・インの日を迎えた。


自宅から10kmほどの場所にある撮影現場だったので、アケミはマネージャーの車を呼ばずに、電車で行くことにした。


電車が来るまでの間、アケミは菓子でも買おうと駅ホームの売店へ向った。そして菓子と共に、普段は読まないスポーツ新聞を、この日は珍しく購入した。


買ったばかりのミントキャンディーを口に入れ、スポーツ新聞を開いたアケミの目が、一点を見つめ凍りついた。


「なんなの!?....この記事は!」


思わずそう口にしたアケミの視線の先には、『女優 唯崎アケミの乱れた男遍歴!衝撃の事実を元恋人T氏が赤裸々に激白!』という見出しが書かれていた。


「よりにもよって、クランク・インの日にこんなゴシップ記事が出るなんて!...しかも、みんな事実無根のデタラメだわ!...」


アケミは込み上げる怒りで体を震わせながらそう言うと、スポーツ新聞をバッグに突っ込んだ。



この日から連日のようにテレビのワイドショー番組では、アケミをバッシングする放送が繰り返されたのであった。。。



ある日の深夜。....銀座の高級バーにあるVIP専用ルームでは、一人の男がブランデーを飲みながら、ほくそ笑んでいた。


「唯崎アケミ..いいザマだな。.この俺を見くびるとどうなるか、これで分かっただろう。..あんたの所属事務所も、やがて俺の会社の傘下になる。あの社長も、いずれは俺の部下だ。..あとは、この俺を甘くみて避けたお前を芸能界から消すだけだ。...ふふふっ、あっはははは(笑)」


そう叫び、笑うこの男....。

この男が、アケミの女優生命を奪うことを目的とし、スポーツ新聞や週刊誌に多額の金を流して架空の醜聞記事を書かせた張本人であった。


アケミのゴシップ記事に出てくる自称・元恋人T氏。...T氏とは、鷹岡のことであった。。。


しかし鷹岡の醜くあざとい策略は、逆にアケミの存在感を引き立たせ、女優としての幅を広げさせるという皮肉な結果に終わった。


やがて鷹岡は、気に入られていた事務所社長から名誉毀損で告訴され、刑に服する身となった。

信用をなくした鷹岡の会社は業績が急激に悪化し、一年後、自己破産し倒産した。


鷹岡の会社に買収されずに済んだこの芸能事務所で、そしてアケミの名誉を守る為に動いてくれたこの社長の下で、アケミは、もう少しだけ頑張って女優業を続けてみようと決心したのであった。。。








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