ショートストーリー621 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「私のことを本当に愛しているのなら、強い気持ちで私を奪ってほしい。...」

バスガイドを務めているユキは、後方の窓側に座っているシゲルを見つめながら、そう思った。

都内の観光地を巡る、バスツアー。

ユキと同郷のシゲルは、週末、ユキに会う為、このバスツアーに参加した。交際している訳ではないが、友人とも違う。。。そんな微妙な関係が暫く続いていることで、ユキの心には、不安と苛立ちが交錯し始めていた。


「左手に見えて参りましたのが、東京の新名所、高さ634m、タワーとしては世界一の高さを誇ります東京スカイツリーでございます。展望デッキからは、関東平野が一望できます」

白い手袋をしたユキの左手が、天空にそびえ立つスカイツリーを指していた。

観光客たちは、ユキに言われたとおり、左側の窓から景色を眺め、にこやかに談笑していた。

シゲルはスカイツリーに目をやると、虚ろな眼差しで窓から上空を見上げ、小さく呟いた。

「どんなに高く登っても、地上の現実から逃げることなんて出来やしないさ...」

ハンドマイクを手にし、笑顔を絶やさず説明しているユキとは対照的であった。


やがて観光ツアーが終わり、バスは終点の駅前広場へ到着した。乗降口の下で、降りてくる客達一人一人に、丁寧にお辞儀をしながら礼を言うユキ。


最後に降りてきたシゲルは、笑みを浮かべながらユキに「お疲れさま」と声をかけると、目で合図を送り、去っていった。


そんなシゲルの後ろ姿を目で追いながら、ユキの心は複雑に揺れ動いていた。


その日の夜、ユキは前日にシゲルと電話で約束をしたレストランに向った。高層ビルの中にある和食料理の店。その窓側のテーブル席で、シゲルは待っていた。


「わざわざ、少ない休日を使って郷里から出てきたからには、何か大切な話があるのかもしれない。...」

ユキは、そう思いながら、シゲルのもとへ歩いていった。


ユキの姿を見たシゲルは、以前と変わらぬ優しい笑顔を見せると、リラックスした雰囲気で話し始めた。


「バスガイドをしているユキを初めて見たけれど、まるで別人のように輝いていたよ...」


「それって、普段は輝いてないってこと?」

シゲルの言葉に、ユキは少しムッとしたような表情で尋ねた。


「ごめん、そういう意味じゃないさ。...気を悪くしないでくれよ。..こうして、せっかく久しぶりに会えたのだから。...」

シゲルは、苦笑いを浮かべそう言うと、手を上げて、ボーイを呼んだ。ボーイは、ユキのグラスに白ワインを注ぐと、一礼をして戻っていった。


眼下に広がる夜景を瞳に映しながら、シゲルが真剣な表情で口を開いた。

「ユキ...俺、もう遠慮しないよ。...自分の心に、もっと素直に正直になろうって思ったんだ。..人生は、とても長い時間があるようで、実は、そんなに長くはないものだって感じた。だから...」


「だから?」

ユキはシゲルの言葉を反復し、その言葉の先にあるシゲルの本心に静かに耳を傾けた。。。


シゲルは、テーブルに置いた右手を膝の上に下ろし、拳を握り締めると、ユキの瞳を見つめながら言った。


「だから...ユキ、俺と、俺と付き合って欲しいんだ。俺は、ずっとユキのことだけを想い続けてきた。..その強い気持ちは、世界中の誰にも負けはしない」


ユキが、こんなにストレートに意思表示をするシゲルを見たのは、初めてであった。今夜、シゲルから告白されそうな予感はしていたが、現実に本人の口から告白されると、ユキの心は複雑な心境になった。

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よく冷えた白ワインが喉を通ってゆくと、ユキの心は少し平静を取り戻した。

「人は誰でも、いつか消えてゆくわ。..消える前に一度でもいいから、本気で誰かを愛することが出来たならば、それは、とても幸せなことだと思うの」

ユキはシゲルの告白に即答せず、そう言った。シゲルの告白は、とても嬉しいのに、ユキの心は、なぜか迷っていた。シゲルの想いに即答できずにいる自分を、情けなく感じていた。


「ユキ...それじゃ、まったく答えになっていないよ。..俺と付き合ってくれるのか?..YESか、NO..それだけを聞きたいんだ」

話の核心から逸れてゆくユキを、シゲルは追うような口調で、そう言った。それは「今夜こそ、ユキを自分のものにしたい...」そんなシゲルの決意の表れでもあった。


ユキは、シゲルの優しさも誠実さも、時折見せるユーモアも好きであった。自分に嘘をつけない正直さは、シゲルの長所でもあったが、反面、そんな部分に息苦しさを感じるユキであった。


「大好きだけど、恋人とは違うの。...」

ユキは、シゲルの真剣な瞳を見つめながら、心でそう呟いていた。

言葉や表情から、ユキの心を察したシゲルは、それ以上、執拗に交際を迫ることはしなかった。。。


再会を祝して乾杯したその夜から、一ヵ月後。。。


ユキのパソコンに、一通のメールが届いた。シゲルからであった。

何気なくそのメールを開いて読んでいるうちに、ユキの瞳から涙が溢れ出し、やがてユキは顔を伏せて嗚咽交じりに呟いた。


「な..なぜ?...なぜこんな重要なことを、今まで黙っていたの?...あの夜、なぜ私に言ってくれなかったの?..シゲル」


そのメールには、シゲルの余命が、あと僅かであることが記されていた。「現代医学では説明のつかない病に侵されている...」そう綴られていた。



「だから、あの夜、私にあんな事を言ったのね。...シゲル...ごめんなさい。許して」

ユキは声にならない声で、そう言った。


翌日、勤務先のバス会社に、ユキの姿はなかった。

ユキはボストンバッグを片手に、始発電車に乗り、故郷へ向った。

シゲルに、自分の素直な気持ちを伝える為に。。。


その年の秋、シゲルとユキは、入院している病院の近くにある教会で、二人だけの結婚式を挙げたのだった。。。。









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