ショートストーリー598 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「ピンクのリボンがついた麦わら帽子...ユカリさんが気に入ってたあの帽子。..いや~、実はね、昨日、まったく同じ帽子をかぶっているお嬢さんを街で見かけましてね。...年格好もユカリさんに似たお嬢さんでした」


杉田と名乗る長身の男は、興信所の名刺をユカリの母に差し出しながら、太く低い声でそう言った。


ユカリは昨年、東京の短大を卒業した後、都内の有名洋菓子店で働いていたが、夏のある夜、突如姿を消したのだった。

警察に捜索依頼を出してはいるが、ユカリの足取りは一向につかめず、時だけが無情に流れていた。


そんな時、ユカリの父が街の一角に、ひっそりと佇んでいる興信所を見つけ、藁をもすがる思いで愛娘の捜索を依頼したのであった。


ユカリが一人暮らしをしていた2DKのアパートには、愛用のノートパソコンが一台、テーブル上に放置されていた。

家族の同意を得て、杉田がメール受信箱を開くと、不可解なメールが多数受信されていた。差出人は、すべて「レンジャー」というペンネーム。

どのメールも英文字や数字、記号などがランダムに羅列してあり、杉田には一体何が書いてあるのか、さっぱり理解できなかった。

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「昔から理数が苦手の俺は、こういう方程式みたいな文字を見るだけで吐き気がしてくるんだよなぁ。...今どき、怪盗ルパンじゃあるまいし、ややこしいメール送るんじゃねーよ」

杉田は白い手袋をつけた大きな手で、マウスを動かしクリックしながらそう呟いた。

すぐ傍では、アパートの管理人であるお爺さんが、かけている老眼鏡を指で動かしながらパソコンモニターを覗き見していた。


「おっ、ビックリしたぁ...あんた、じゃなくて管理人さん、まだ居たんですか?!..あのう..一応、プライベートな部分は守秘義務っていうのがあるんで、ご退場願えますか?」


杉田は慌ててパソコンを閉じると、管理人に穏やかな口調でそう言った。照れ笑いを浮かべながら管理人が去ったあと、杉田は再びパソコンを開き呟いた。


「ユカリの両親が、警察に娘の捜索依頼を出したのが8ヶ月前。...とっくにこの部屋も捜索されている筈だろうに、なんでパソコンが失踪当時のまま置かれているんだ?パソコンなんて、真っ先に回収して調べるべき物だろう。...なのに、なぜ?」

杉田は今から10年前、都内の派出所に勤務する警察官であった。そんな杉田から見ても、今回の警察の捜査には疑問を抱かざるを得ない点が幾つかあった。


杉田はユカリのパソコンを自分のバッグに仕舞い込むと、携帯を取り出し、依頼者であるユカリの母に電話をした。


「あ~、私です、杉田です。...今日、初めて娘さんのアパートにお邪魔したんですがね..何点か腑に落ちないことがありましてね。..ええ、娘さんのノートパソコン...これ、捜査開始から数ヶ月も経つのに、なぜ部屋に置かれたままになってるんでしょうね?...捜査資料として押収しない警察も、ご実家に持ち帰らないご両親も、私には極めて不自然に見えて仕方がないんですよ」


杉田の声は、一貫して穏かで優しげながらも、その切れ長の鋭い目は何かを嗅ぎ分けようとしている野獣のようであった。


一瞬の沈黙の後、携帯の向こう側から、杉田の問い掛けに対し、急に早口になった母親の声が聞こえてきた。

「娘が帰ってくるかもしれないのに、大事なパソコンを私が持って帰ってしまったら、娘が、あまりにも可哀想じゃないですか!それに警察だって、その部屋でパソコンを起動させ、とうに調べ終わっている筈です。杉田さん、ユカリの親である私や、捜索してくださってる警察まで疑うおつもりですか?」


「いいえ....誰よりも娘さんを愛している親御さんや、巨大な国家武装団、いや警察を疑う気なんて、さらさらありませんよ。..ところで娘さん、暗号めいた意味不明のメールを多数受信されてるんですが、レンジャーっていう言葉に覚えはありませんか?」


杉田は部屋の壁にボールペンで小さく書かれたサインのようなものを見つめながら、そう訊いた。
携帯を耳に当てながら壁に顔を近づけて、その文字を見る杉田。。。壁には「ranger」の文字。


「なんだこりゃ?....ranger..レンジャー、変なメールの送り主じゃねーか。...レンジャー、つまり特殊部隊、遊撃部隊...そいつらに、ユカリは誘拐拉致されたってわけか?」

杉田がそう思った時、ちょうどユカリの母親が答えた。


「レンジャー?そんな言葉、聞いたことも見たこともありません!それよりも、早く娘を探し出してください!」

母親は、まくし立てるようにそう叫ぶと電話を切った。


この時、杉田に直感が走った。。。。


「ユカリの失踪...これは両親が作り上げた芝居だ。...ユカリは両親らと連絡を取り合い、近くに身を潜めているはずだ。...」



ユカリ及び両親は、なぜ興信所に金を払ってまで、虚偽の失踪事件をでっち上げたのか?....。


ユカリの父親に疑念を抱いていた杉田は、父親の過去を調べたのだった。

その結果、ユカリの父親は元刑事であった。

刑事部長だった頃、とある大物政治家の息子が起こした飲酒運転ひき逃げ事件を警察上層部が揉み消そうとしたことに立腹したユカリの父は、上層部との確執により降格、減給させられ、やがて依願退職をしていた。


そんな過去がある父親は、警察に対する復讐心から、娘の偽装失踪を企て、警察に娘の捜索を依頼し、警察よりも早く、興信所の自分に娘を発見させる手筈なのだと、杉田は確信した。


「もうじき、ユカリが俺の前に現れるだろう。...さも偶然を装ってな。..自分のメンツを取り戻す為に、愛娘に自作自演させるなんて、バカな親父だぜ、まったく。...」


杉田は、ユカリの部屋のベランダに出ると、都会の湿った生ぬるい風を頬に受けながら、煙草に火をつけたのだった。。。。










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