ショートストーリー590 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
この川を源流まで遡ってゆくと、そこに昔、村人が建てたと思われる石碑がある。

その石碑には、次のような言葉が刻み込まれている。

「この清浄なる湧水は神聖なる大地より湧き出でたる尊い宝なり。汚し粗末にする者あれば、必ずや天、大地より厳罰が下るべし」

この石碑の建立時期は江戸時代、いや、鎌倉時代とも言われている。

草むらの中に埋もれてしまっていたこの石碑を、15年前、たまたま東京からトレッキングをしに来ていた青年が見つけ、村役場に連絡をした。


当時、青年から連絡を受けた村役場の風間は、四輪駆動車に乗り込むと、青年から言われた石碑の発見場所へと向かった。

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役場がある村の集落から山道に入り、一時間以上、山々を走り続けた先に、その場所はあった。石碑のある付近は車が通れない為、山道の隅に車を停め、そこから400mほど獣道を歩いていった。

青年は石碑近くの獣道に転がっている丸太に座り、風間が来るのを待っていた。風間が遠くに見えてくると、青年は手を大きく振って合図を送った。


電話の声からイメージしていたインテリな雰囲気とは程遠く、真っ黒に日焼けし無精ひげを生やしたその風貌は、山男そのものであった。


「ご連絡いただき、ありがとうございます」

風間が笑顔でそう言うと、青年は照れくさそうに微笑み、頭を下げた。


「早速ですが、その石碑は、どこですかね?」

風間の問い掛けに、青年は眉を上げて返事をすると、草むらの中に入っていった。


身長170cmの風間だが、その顔が隠れてしまうほど、丈の長い草が生い茂っていた。青年は180cm以上あるらしく、草むらから頭一つ飛び出していた。ゆえに風間は迷うことなく青年の後をついて行くことが出来た。


歩くこと3分。。。鳥の鳴き声と、風になびく木々や草の音の合間を縫うように、清水が湧き出でる微かな音が風間の耳にも聞こえてきた。


青年は草を両手でかき分けて足で押さえると、風間を見て言った。


「これです。...見落としてしまいそうな程、小さな石碑です。この一面に文字が刻まれているんです。...延々と後の世の人々にも伝えようと、記したものでしょう」

青年は腰を屈めて、高さ十数センチほどの小さな石碑を見つめ、そう言った。


「しかし、なぜ古くからここにあった石碑を、今まで誰も見つける事が出来なかったのだろう?」

風間のその言葉に、青年は首をかしげ、頭をかきながらポツリと呟くように言った。

「それは、無頓着だからです。..ここから湧き出る水の恩恵を受けて生活していながら、その本質、本体に感謝し、守ろうとしない。..人間っていうのは、まったく身勝手なもんですな」


風間は、まるで自分が怒られているような気がして内心ムッとしたが、その言葉には同感であった。


風間は役場から持ってきた草刈り鎌で、青年と共に30分ほど、辺りの草を刈ると、石碑をデジカメで撮影した。


青年は、そんな風間を鋭く見つめると言った。

「日本の古代から伝わる文化や伝統、言い伝えや風習の中に、いつの時代にも必要な智慧が隠れているのです」

年下とは思えない青年のしっかりとした言葉に、風間は思わず背筋を伸ばし頷いた。


「月曜日に早速、村の歴史資料館に連絡し、この石碑の発見報告をし、村の歴史的文化財として保護してゆく旨、伝える予定です」

風間がそう言うと、青年は小さく頷いた後、微笑みながら言った。

「大切なことは、大地や自然に対する敬意と感謝する心です。心なき形式や建て前は無意味ですよ」

青年は、そう言い残すとお辞儀をし、獣道のほうへ戻っていった。

風間は石碑の発見者である青年の名前を訊いていないことに気づき、慌てて青年の後を追った。

背丈ほどの草むらから抜け出し、獣道に出て辺りを見渡したが、すでに青年の姿はなかった。。。


「わずか十数秒ほどの間に、姿が見えなくなるなんて。...」

真っ直ぐに伸びた獣道の遥か前方にも後方にも、青年の姿はなく、風間は、まるで狐につままれたかのような気分になった。


月曜日、風間は村の職員と共に再度、石碑のある場所を訪れた。村の田んぼを潤し、村民の生活用水としても使われている貴重な水の水源地の隣に、ひっそりと人目に触れず建ち続け、後世の者達に訓示を与えていた石碑。。。

その石碑の存在を、ようやく村民に知らしめることが出来る喜びを感じながら、風間は草むらの中に入っていった。



その後、石碑は村民によって大切に守られ、花や果物が供えられるようになった。石碑に刻まれた教えを村民は忠実に守り、水を有り難く、今まで以上に大切に使うようになったのであった。。。


風間は当時を振り返り、感慨深げに言った。

「あの青年が石碑を発見し、役場に連絡をしてきた日、村役場の会議室では業者を交え、村に化学工場を誘致し建設するという、具体的な話し合いが行われていた。もし、あの青年が石碑を見つけず、あるいは見つけても村に連絡をしなかったら、おそらく我々は利益優先を選び、有害な工場排水で土壌や地下水を汚す化学工場の建設を認めていただろう。...今考えると、瞬く間に姿を消したあの青年は、この村の水、大地、自然、人々の命を守る為に現れた神の化身であったように、私には思えるのです。..」


青年が見つけた石碑。。。それ以来、村人達は石碑を大切にし、山や川、清き湧き水を生み出す大地など、自然に対し感謝の念を強く抱きながら謙虚に生活してきた。

日照り続きで干ばつの被害が出ている夏でも、なぜかこの村だけは清水がこんこんと湧き出でて、村人達の生活を支えたのであった。。。。








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