ショートストーリー589 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「ほら、あの森の右手に見えるでしょ?..緑色の尖った屋根...そう、あれ。..あれが私の家ですよ」


大学の物理学科で助手をしている藤永が、同じ大学の事務所に勤務している優美子の肩に触れながら、そう言った。


週末の休みを利用し、藤永は自分の研究室の学生達や大学の事務職員など、気が合う仲間達を自宅に招待し、広い庭先でバーベキューをするとのことで、今回、優美子も招かれたのであった。

優美子だけが遠方から電車で来るというので、藤永が車で最寄駅まで迎えに行った。優美子が藤永の家を訪れるのは、今回が初めてであった。


「藤永さんのご自宅って、郊外の自然豊かな場所にあるんですね。..いいなぁ、とても静かなとこで」

助手席から森を眺めながら、優美子は、そう言った。

「住めば都。...騒音だらけの雑然とした都会だって、一度住んでしまえば、それなりに良いものですよ。ここだって、たまに来れば、良い所に見えるでしょうけどね...」


藤永は、そう答えると、唇を硬く斜めに閉じ、人さし指でサングラスを鼻の上に押し上げた。


「そういうものですか。...」


「ええ..そんなものですよ。...ほら、隣の芝生は青く見えるって諺があるでしょ?」


「ええ...」


そこで、二人の会話は止まった。。。そして車も赤信号で停止した。車内という密閉された狭い空間が、優美子の心身を微妙に緊張させていた。


気まずい空気は、静寂の時の長さに比例するように、優美子に重くのしかかってきた。


車が動き出し、森に囲まれた小さな交差点を右折すると、益々ひと気のない森の奥へと入っていった。


「藤永さん、ここから毎日のように大学まで通勤するのは大変じゃないですか?...街に出るまで結構、距離がありますもんね」


重圧的な雰囲気に耐えられず、優美子が明るい口調でそう訊いた。


藤永は優美子の問いかけに無反応のまま車を走らせ続け、やがて広大な自宅敷地の門前で車を停めた。

堅牢な作りの門に設置されたセンサーが、藤永の車を感知すると、門の扉が自動的に左右に開き始めた。一面芝生の丘陵地帯。所々に高い樹木がそびえ、噴水のある池も遠くに見えていた。。。

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その丘陵地帯を白っぽい石畳の道が、左右にくねりながら藤永の邸宅まで通っていた。車は、その石畳の道を、ゆっくりと進み始めた。


「すごい!...まるで中世ヨーロッパのお城の敷地に入ってゆくみたいだわ。...日本とは思えない!」

あまりに現実離れした風景に、優美子は不安も緊張も忘れ、目を輝かせながらそう呟いた。


大きなサングラスで表情が読み取りづらい藤永であったが、優美子が喜ぶ様子を見て、頬と口元を微かに緩ませた。


所々に置かれたアンティークな銅製のベンチには、様々な人間の銅像が腰を下ろし、様々なポーズをとっていた。


「うふふ、面白い。。。藤永さんって、見かけに寄らずユーモアのセンスがあるんですね」


ユニークな銅像達を見ながら優美子が、そう言った時、藤永は車のブレーキペダルを強く踏み込んだ。

車は大きく前後に揺れて停まった。優美子は驚いて藤永の横顔を見つめた。


「見かけに寄らず?....今、そう言ったよね?...絶対、そう言ったよね?..ね!?」


前方を見つめたまま、藤永は冷淡かつ強い口調でそう言った。


「は、はい。...その、別に悪い意味で言ったのではなく...つまり」

優美子は再び不安と緊張に襲われ、足を小刻みに震わせながら、そう言った。


「ここで降りな。...私の家は、この道を歩いてゆけば突き当たる。...さぁ、早く降りるんだ!」

大学で見せる柔和で温厚な藤永とは違い、冷酷で非情な別の顔が、そこには、あった。


すると優美子は怖くなり、叫んだ。

「もういいです!...私、バーベキューなんて参加せずに帰ります!」

そう叫び、優美子が車から降りると、パワーウィンドウが下がり、車内から藤永が笑みを浮かべながら言った。


「ふふっ...そう思うのは、キミの勝手だ。..この広大な敷地は、高さ3mに渡って何本もの頑丈な有刺鉄線で囲まれている。.しかも高圧電流が流れてる。...0,1秒でも鉄線に触れたら、あの世ゆきさ。しかも敷地内では、国から特別に許可をもらってベンガルトラを8頭、黒豹を4頭、放し飼いにしているんだ。...この私でさえ、家から門の外まで車で移動しないと喰われちゃうほど、どう猛な奴らさ。...それじゃ、優美子君。...無傷の生還を祈るよ。..ふふふふっ、あははははっ(笑)」


藤永は、そう言うと、車をゆっくりスタートさせた。それは、まるで優美子が車を追いかけ、すがり付くのを期待しているかのようであった。。。


優美子は辺りを見回し、トラや黒豹がいないことを確認すると携帯を取り出し、今日、藤永から招待されている筈の事務職員らに電話をかけた。


優美子は電話番号を知っている数名にかけた後、膝を地に着けて嘆いた。

「あの男を信じて疑わなかった自分に腹が立つ。....誰一人、藤永からバーベキューパーティに誘われていないなんて。..私一人を罠に陥れたのね」


そんな優美子の姿を、サイドミラーで見つめながら、藤永は無表情のまま呟いた。

「いつまでも、この俺を教授に昇格させないアホ大学には昨日、辞表を出してきた。...もう俺には守るべき地位も肩書きもない。...優美子君...キミは、もうこの敷地から永久に出られないんだよ。..さぁ、諦めて素直に車にお乗り。...だって、悪いのは、キミなんだぞ。...あまりにも美しすぎるキミが悪いんだ。.ふふふっ、あっはははは(笑)」


藤永の荒んだ笑い声は、温もりも生活感もない異様な空間に虚しく響いていた。。。。。








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