ショートストーリー379「人と人(中編⑦)」 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
やがて、カーテン越しに朝陽が射し込み始め、街路樹にねぐらを構えた鳥たちが、賑やかに囀りだすと、カナコは膝枕をしていたテツオの頭を、静かに床に降ろした。

カナコは、警戒するようにカーテンをわずかに開けて外を見渡すと、そこには、いつもと変わらない見慣れた朝の風景が広がっていた。

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深夜、タツヤ自身が電話を掛けて、自らの犯行であることを自分に伝えてきたことが、カナコには不思議に思えた。カナコは、血の付いた衣服を脱いで着替えると、髪を後ろで一つに束ね、気持ちを引き締めるように冷水で顔を洗った。


「テツオ...これから警察に連絡するね」カナコは、目を瞑ったままのテツオを見つめながら、そう呟くと、携帯を取り出し、警察へ電話したのだった。


ほどなくして、パトカーなど数台の警察車両が、けたたましいサイレンと共にやって来て、マンションの下に停車した。警察官と鑑識官ら数人がカナコの部屋に駆けつけると、ドアを開けて出迎えたカナコの顔を、訝しげに見つめた。

「野ヶ崎カナコさんですね?...遺体は、部屋の奥ですか?」

「はい...」カナコは、素直に答えると捜査員らに立会い、状況をつぶさに説明した。

数時間に及ぶ現場検証などが終わると、カナコはパトカーに乗せられて、署に同行したのだった。


警察署に着き、中に入ると、なぜか署内は慌しい感じであった。すると、カナコの前を歩いていた刑事が、いったい何事かと思い、近くにいた署員に訊くと、その署員は「ホシが、たった今、本署に出頭して来たのです」と答えたのだった。

カナコは、自分とは関係のない話だと思い、聞き流していたが、署員が発した次の言葉を聞いた時、歩みを止めた。

「ホシは、弓坂タツヤ、30歳。本籍、神奈川県...野ヶ崎さん方に侵入し、紺坂テツオさんを鈍器にて殴打し、殺害したことを、先ほど自供しました」

カナコは、署員の顔をマジマジと見つめると同時に、体が硬直して動けなくなっていた。

深夜、タツヤからの電話で、すでに状況は理解していた筈なのに、今、改めて署員の口から事実として聞かされたことで、テツオの死という現実と、タツヤの罪の重さが、カナコの体を押し潰すように襲って来たのであった。


「野ヶ崎さん、どうやら犯人がすでに自首して、犯行を認めたようです。。これで、あなたへの疑いは、ほぼ消えることになりますが、現場にいた関係者として、これから幾つかお聞きします」

刑事は、呆然としたままのカナコに、そう言うと、カナコの背中を静かに手で押し、取調室へ向かうように促したのだった。。。

殺風景な取調室の中で、机を挟んで向かい合うように座ったカナコに、刑事は、優しい口調で尋ねた。

「野ヶ崎カナコさん...あなたと、弓坂タツヤの関係は?」

「元恋人です。昨年の暮れ頃から交際を始めて、ひと月ほど前に別れました...」

うつむいていたカナコは、顔を上げて刑事の目をしっかりと見つめながら答えた。


「弓坂タツヤと別れた原因は、なんですか?」刑事は、瞬き一つせずに視線をカナコに向けたまま訊いた。

「特に大きな原因は、ありませんでした。。。浮気をされたとか、暴力を振るわれたとか、一切ないです。。。ただ、あえて上げるならば、性格の不一致、、、価値観の相違、、、そんなところだと思います」

カナコは、ゆっくりと言葉を噛みしめるように話した。


「あなたのほうから、弓坂タツヤに別れを切り出したのですね?」

「ええ。。。そうです。私のほうから一方的に、別れようと伝えました...」

「その後、弓坂タツヤからは?」

「それ以来、会うどころか、私からは連絡さえもしていません。。。」カナコは、事実を正直に答えたのだった。


およそ1時間ほどで、カナコへの事情聴取は終った。

後日、カナコは、テツオと共に暮らし、そしてテツオが人生を閉じたマンションを引き払い、出て行った。。。

そして同じ頃、勤務先の新聞社にも退職届けを提出し、受理されたのだった。。。

カナコの上司であり、恋人でもある青木は、慰留に全力を注いだが、カナコの決意は固く、覆ることはなかった。

新聞社を退職する日、カナコは青木のところへ挨拶に来ると、背筋を伸ばして言った。

「今まで、公私に渡り、青木さんには大変お世話になりました。これからは、一人の自立した女性として、これまでに培った事を活かして、生きてゆきます..」

青木は、カナコのその言葉の中に、自分との決別を強く感じ取っていた。

カナコの元夫に多額のみかじめ料を要求し、殺されれば自分の名を上げる為、スクープ記事にしようとした男...そんな青木と別れることが、道半ばで亡くなったテツオに対する、せめてもの供養であり、愛であると、カナコは思ったのである。。。


カナコが職場を出て行く時、青木は声を上げて叫んだ。

「カナコ君、、、、ありがとう」

するとカナコは、ドアに向かって歩いていた足を一瞬止めたものの、二度と青木のほうへ振り返ることなく、足早に出て行ったのだった。。。


「ふふふっ、、、、野ヶ崎カナコ...つくづく、男に恵まれない女だ...まっ、俺も含めてだがな...ふふふっ」

カナコが使っていたデスクを見つめながら、青木は、そう呟くと、不敵な笑みを浮かべたのだった。


会社の外へ出ると、寒い夜空にそびえ立つ新聞社のビルディングを見上げながら、カナコは心の中で呟いた。

「これから...すべては、これから始まるのよ...」



(次回へ続く)




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