ショートストーリー362 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「俺はな、、、女を好きになる時は、いつも本気なんだよ。。。」
アキラは、クラブ歌手のヨシコを自分の席に呼び出すと、そう言った。

薄紫色のドレスを着たヨシコは、グラスのシャンパンを一口飲むと、ピアスの位置を直しながら言った。
「お客様、今日は随分と酔っていらっしゃるみたい。。。そういう時に言う言葉って、後で後悔するような言葉が多いから、気をつけたほうが良いと思います」

テーブルに置かれた細くしなやかなヨシコの手に、アキラの骨太で大きな手が覆い被さり握り締めた。
驚いて手を引こうとしても、アキラの手が重く熱くヨシコの手に被さっていて離れなかった。


思わず、目を丸くしてアキラの顔を見つめるヨシコ。アキラの彫りの深い顔に掛けられたサングラス。黒いレンズ越しに、微かに透けて見える切れ長の目は、意外にも優しくヨシコを見つめていた。。。


「お客様、困ります。。。私は、このお店で歌うことを仕事にしているのです。。。お店のお客様と、こういう関係になることは固く禁じられているのです」

もはや、握られた手を引くことはしなかったが、困った表情を見せながら、ヨシコはアキラに言った。

「こういう関係って....どういう関係なんだ?あんた、渚野ヨシコって言ったよな?この辺りじゃ、初めて聞く名前だ。。。この店は、開店以来、カモカモ音楽事務所の新人歌手が専属になってきた店だ。。。あんた、カモカモ音楽事務所の歌手じゃないだろ?」


思ってもいない質問をされたヨシコは、明らかに不愉快そうな表情でアキラを見つめて言った。

「あなた、一般のお客様と違いますね?この辺りを仕切っている方ですか?それともカモカモ音楽事務所の方?」

するとアキラの頬が緩み、少しだけ笑みが漏れた。そして片手はヨシコの手を押さえたまま、もう一方の手で煙草を取り出し、口にくわえると、器用に火をつけた。

「残念ながら、二つともブー!だ。。。俺は堅気のもんだよ。。。安心しな。俺を詮索する前に、ヨシコさん、あんたのことを聞かせてくれないか?」

そう言い終えると、アキラはキラキラと輝くシャンデリアに向けて煙を吐き出した。

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「気障な男。。。私の素性を知って、一体どうするつもり?私が密売人と付き合っていたのは5年前の話。。。今さら警察が来るとも思えないし」

アキラの目を見つめながら、ヨシコは、そんなことを考えていた。すると、アキラは握っていたヨシコの手を、いきなり自分の胸元に引き寄せると言った。

「で、どうなんだ?なんで、この店で歌っているんだ?」

手を引っ張られて、体までアキラに引き寄せられたヨシコは、アキラの目を睨みつけながら言った。

「あんた、一体なんなの?!私が、どこで歌おうが、そんなことアンタに関係ないでしょ!このお店と私の間で契約が成立した以上、部外者にとやかく言われる筋合いはないわ!...手を離してっ!」


ヨシコは大きな声で、そう叫びながら、手を引き抜こうとしたが、アキラの腕力には敵わなかった。

そして店内では、別のクラブ歌手が大音量でロックメドレーを歌っている為、ヨシコの声は周辺の人には届かず、誰も気が付かなかった。


アキラは、そんなヨシコを無表情のまま見つめながら、低い声で言った。
「俺はな、、、あんたがプロの歌手になる前から、あんたと一緒に売り込みに奔走していた風車ヒロシの兄貴だよ」

その言葉を聞いたヨシコの表情が、一瞬固まった。15年前、高校を中退したヨシコは、プロの歌手を目指して上京した。不慣れな東京で始めたバーでのアルバイト。。。そこで、ウェイターをしていたヒロシと、いつの間にか恋仲になっていた。

ヨシコはデートの度に、歌手になる夢をヒロシに熱く語った。そして、ヒロシは愛するヨシコの夢を叶える為に、何でも協力することに決めたのだった。


やがて二人は、家賃の安いワンルームのアパートで生活を始めた。二人はヨシコの歌を録音したカセットテープを持って芸能事務所を回って、売り込みに歩いたのだった。。。

カセットテープを受け取ってくれないどころか、二人の身なりを見て門前払いするところさえあった。

足を棒にして都内を歩き回る日々。。。しかし一向に結果が出ない苛立ちから、ある日、ヨシコはヒロシがいない晩、ウォッカや焼酎、ストレートのウイスキーをやけ酒したのだった。

あまりにも強いアルコールは、ヨシコの喉を痛めつけた。そしてアルコール中毒になり、病院に救急搬送されたのだった。


数日後に退院したものの、声は、かすれたままで、高い声が出にくくなっていた。ヒロシは、そんなヨシコを責めたり怒ったりすることはなかった。。。なぜなら、ヨシコの中に昔の自分を見ているような気がしたからである。

月日は流れ、ようやく二人の地道な努力が報われ始めた。小さいながらも、どうにか芸能事務所に所属できたヨシコ。ヒロシの親身な姿に事務所の社長も心を打たれ、ヒロシをヨシコのマネージャーとして採用することに決めたのだった。。。


その後、ヨシコは日々、ボイストレーニングなどを積み重ね、一年後にプロ歌手としてデビューを果たしたのであった。。。



アキラは、更にヨシコの腕を強く引き寄せると、ヨシコを見つめたまま言った。

「アンタ、たしか3曲目が大ヒットしたんだよな?ギャラもド~ンと跳ね上がって、周りもアンタをチヤホヤしだした。アンタ、すっかりスター気分ってわけだ。。。高級車での送迎、一流レストランでの食事、高価な衣装...アンタは次第に、下積み時代を支えたヒロシの努力や苦労を忘れていった」

ヨシコは額に汗を浮べながら、唇を震わせて聞いていた。

「そして下積みの頃から、将来一緒になることを約束していたヒロシを、アンタ、あっさり捨てたんだよな。。。大手芸能事務所の社長と付き合いだしたアンタは、小さな事務所から、そっちへ移籍した。ヒロシを置き去りにして。。。その後、ヒロシは事務所を辞めて都内で小さな焼き鳥屋を始めたんだ」


「それの、どこが悪いのよ?!プロの世界は厳しいのよ!大きな事務所に入って上を目指すのは当然でしょ!それにヒロシとの関係は、あの頃、もう冷めていたのよ!」

ヨシコは激しい形相で、怒鳴るようにアキラに言った。


するとアキラは、ヨシコの手を離し、テーブルにあるシャンパングラスを持つと、ヨシコに浴びせかけ言った。

「下積み時代の純粋な気持ちを忘れ、スターになって自分を見失ったお前は、やがて落ち目になると社長にも捨てられ、ヤクの密売人と関係を持つところまで落ちぶれた。。。今となっては、過去の栄光など一銭の価値もねぇー。それで、お前は女であることを武器に、この店のオーナーと関係を持って、ここのクラブ歌手になったってわけだ。異論があるなら、言ってみろ!」


ヨシコは涙を浮べながらも瞬き一つせずに、アキラを睨み続けていた。そんなヨシコを、アキラは哀しい表情で見つめていた。。。。





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