飯野城の近くのスーパー
立派な竹の皮が売っていたので何かと思ったら、
郷土料理の『あくまき(灰汁巻き)』の調理セットでした。
レンゲが綺麗でした。
【木﨑原(きざきばる)の戦い】
伊東義祐と島津義弘の間でおこなわれた合戦。
大軍(3000人という説が有力)を擁していた伊東側が少数の兵力(300人程度)しか持っていなかった島津側に敗北を喫してしまったことから『九州の桶狭間』とも呼ばれるが、
桶狭間の戦いとは異なり、島津軍も兵力の85%以上が討死し、ほぼ壊滅した。
飯野城から約5km、徒歩1時間ちょい
首塚
太刀洗川(たっちゃらご)に、今は水が流れていない。
『三角田』の古い石碑(木崎原古戦場跡)
【木﨑原の戦い】の前哨戦は、伊東軍の『加久藤城』への夜襲。
難所である搦手の鑰掛口(かぎかけぐち)から攻めかかるが、暗いうえに地理にも疎く、島津側から「鑰掛口が弱点」という嘘の情報を流したとも伝わる。
援軍も駆け付けて挟み撃ちとなり、伊東軍は城を落とすことが出来ずに木﨑原に兵を退く。
兵たちは夜襲と行軍で疲弊している。蒸し暑さから水浴びしていたところへ、島津軍が攻めかかり、両軍入り乱れての大激戦となった。
伊東軍は多くの兵を失い、伊藤祐安・伊東祐信・伊東祐青ら大将も討たれ、有力武将の多くが命を落とした。
樹齢400年の杉に囲まれた六地蔵塔
島津家では、多くの犠牲者があった場所に建立する。
『六地蔵塔』
『加久藤城』に行ってみることにする。ここより3kmほど。
『森岡城』同市出身の不動産業会長が半生を掛けて築城したそうです。一般も入場可能(水曜定休)
『加久藤城』入口
2025.5.8(木)
















