飯野城は別名『亀城』『鶴亀城』
地元の表記は亀城が主流のようでした。
大手門
大手門から50mほど上ると案内板
案内板はあるが、道があるのは本丸のみ。
加久藤城への道が搦手門となり、4kmほどらしいが草が深い。
二の丸・三の丸の表示は方向を示すだけで道は無い。
本丸までは車路がある。
広い本丸曲輪です。
『亀城址』の石碑
永暦元年(1160年)に日下部重貞が居城としたが、その日下部氏が没落すると、康永4年(1345年)に北原兼幸が真幸院司に就任し居城とした。
永禄7年(1564年)北原氏も滅ぶと、島津氏の所有となり、
島津貴久の次男・島津義弘の居城となった。
※関ヶ原の敗戦で敵中突破をしたのが、この義弘です。
天正15年(1587年)に義弘の嫡男・島津久保の居城となるが、久保は文禄の役に参加中の文禄2年(1593年)に病死する。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城。
大手門の近くにあった図面
比高50メートルの河岸段丘上にあり、城の南方は川内川に面して、また東方と西方もその支流が流れいずれも険崖になっており、北方は押建山が壁の役割を果たす要害の城。
物見曲輪から
2025.5.8(木) 登城













