鎌倉時代後期の三浦氏宗家滅亡後に相模三浦氏を興した佐原盛時が築城したとされているが詳細不明。
戦国期には相模一円に領域を拡大した三浦氏の居城『新井城』の支城であるとともに、水軍の根拠地であった。
(後北条氏が同城の海側の部分を改築して独立した水軍城砦とした時に旧城である新井城と新城である三崎城に分けられたと考えられている)
三浦市役所 大手口
市役所第二分館(旧三浦市立三崎中学校)
校門付近には土塁
更地の部分が本丸跡になります。
慰霊堂からは搦め手
搦め手口へ
永正十三年(1516)7月11日三浦義同(よしあつ)が北条早雲に敗れ『新井城(油壷)』で滅ぶとき、『三崎城』もまた落城した。
天正十八年(1590)秀吉の小田原征伐により北条氏の滅亡に伴い『三崎城』は廃城となった。
『三崎城』を下ると、向かい合う城ケ島が堤防の役目をする良港『三崎港』
マグロ漁業の拠点とし南洋漁場へ進出した。
日本最大のマグロ漁港だったが、1955年(昭和30年)以降は焼津漁港を下回っており、1961年(昭和36年)以降は清水漁港も下回っている。
三崎漁港市場
水曜日は定休の飲食店が多い
テレビなどでも有名な海鮮料理店『くろば亭』
行きたかった店は休み、他は行列にて食事は中止。ダイエットね。
2023.3.8(水)