越後・安田城 | 投資 播種 目を出せ! 植木屋のブログ

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越後・安田城(やすだじょう)は、新潟県阿賀野市にある平城。

 

安田城ですが、富山にある越中・安田城が同名で有名です。新潟にはもうひとつの越後・安田城が柏崎市にもあり、混同しやすい。

旧安田町役場の東側一帯が本丸部分で、公園として整備されており、南側の一部には二の丸跡が残っています。

田園地帯の平城で、堀や土塁が残っている。

鎌倉時代の初めに、白河庄の地頭となった伊豆・大見郷となる大見家秀の末裔が安田に入って安田城を築城したとされます。
そのまま越後に土着した大見家秀の子・大見実景は、大見・安田氏を称しました。

戦国時代になると、安田氏は揚北衆の有力国人となっており、越後守護代 長尾為景に従いました。
安田実秀は、安田弥太郎、安田安田但馬守ともされます。

 

永正10年(1513年)、上杉定実と長尾為景が対立すると安田実秀は、上杉定実に味方しますが敗北し討死したと言われます。

このあと、上杉謙信の家臣として有名な「安田長秀(安田治部少輔)」は、安田実秀の子と考えられます。

永禄4年(1561年)の川中島の戦いでは、上杉政虎(上杉謙信)のもと奮戦し、色部勝長・中条藤資らと共に「血染めの感状」を受けています。

上杉謙信が死去し、その跡目を争った御館の乱では上杉景勝に味方。
そのため、越後・安田城は、上杉景虎(北条三郎)を支援した蘆名氏によって攻撃を受けています。

 

上杉景勝と共に、大見安田氏が会津に移ったあとには、「村上城」村上義明の領地となり、越後・安田城には吉武右近が7000石にて入りました。
村上氏が廃絶。1616年、堀直時(ほり なおとき)が3万石にて安田藩となり、安田城は拡充されました。
1644年、領地替えで堀直吉が村松へ本拠を移すと、村松陣屋は、村松城へと改修され、安田城は廃城となっています。

2019.7.27(土) 昼

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