1333年(元弘3年)後醍醐天皇の鎌倉倒幕運動にに呼応した、
河内の武将 楠木正成と鎌倉幕府の間で起こった包囲戦。
下赤坂城、上赤坂城さらに奥の千早城という布陣。
大阪府千早赤坂村に位置し、近隣には砦のような小城が連携している。
下赤坂城 標高186 m 比高 61m
遺構はなく石碑のみ。
近隣は棚田の風景が広がる。
上赤坂城 標高350m 比高150m
楠木正成と言えば「千早城」が有名だが、楠木正成の本城はここ。
秋に始まった攻城戦は2月に水の手を切られた上赤坂城が落城。
敵方に糞尿をかけて防戦したのが「糞谷(くそんど)」という地名で残っています。
伝 楠公産湯の井戸
現在、斜面が崩れて立ち入り禁止中
郷土資料館脇の誕生の石碑
600段の階段を上ると「千早城」635m
ここから、さらに上がると詰の金剛山。
山頂付近の「国見城」
比高500m。こんなに高いとは思わなかった。。。