志布志城は、ひとつの城と言う事ではなく、志布志にある内城・松尾城・高城・新城の4つの独立した城郭のすべてを総称として「志布志城」と呼んでいます。
一番規模の大きい「内城」が主城とみられるが、初期はここ「松尾城」が主城であったと思われている。
「高城」、「新城」は志布志中学校となっているので、周囲を車で廻って舌状大地の端に位置する地形を確認するのみだった。
平山庭園のある観光駐車場から西への道を数十メートル進むと登城口
暗くなってきたので手ぶれしてしまってる。
登り始めてすぐに切通
切通の向こうは内城方向の曲輪
切通を戻り登城路を進む。曲輪の口には加工の跡。
虎口には石積も見られる。
祠と石碑がありますが、本丸としては規模が小さい。
楡井頼仲(にれいよりなか)公の顕彰碑
1336年南北朝時代、大隅・日向地方では南朝側の肝付氏への北朝側の畠山氏の侵攻が激しく、
劣勢の肝付氏に代わって南朝側として勢力を拡大して志布志城主となった。
1357年畠山直顕に攻められ落城、自害して楡井氏は滅亡。
先には大堀切が有り、大きな曲輪もあるらしいが道が無かった。
麓の共同水場
2018年5月23日登城