権六(勝家)、お市の「北の庄」 | 投資 播種 目を出せ! 植木屋のブログ

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戦国一の美女と唱われた「お市の方」

金ヶ崎城攻めで裏切った浅井長政、北の庄で攻め滅ぼされた柴田勝家。
お市の方には福井県は因縁の地でしたね。

現在は小さい城跡しか残っていませんが、一向一揆を壊滅させた勝家に、越前49万石。

宣教師ルイス・フロイス本国宛の書簡には
「甚だ立派で、城およびその他の家の屋根が石で葺かれ、その色により城の美観が一層増している」


秀吉が勝家を攻めたときの書簡には、
「城中に石倉を高く築き、天守を九重に上げそうろう」とある。


江戸期に結城秀康(家康の二男:秀吉の養子となる)による、
新たな「北の庄城」→「福井城」が築城された為に勝家時代の遺構は特定できていない。




「柴田神社」付近の遺構が城跡ではないかと推測されている。





北の庄城落城の折、辞世の句です。

市「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜に 別れを誘う ほととぎすかな」


勝家「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ ほととぎす」


戦国一の美女と言われますが、その実は、気遣いの行き届いた人だったのでしょうね。