大阪万博を盛り上げようと、おばけのような気持ちの悪い公式キャラクター「ミャクミャク」を前面に押し出してイベントを開催したり新幹線にラッピングしたりしている。

 昭和のおじさんたち(運営管理職)の発想なのだろうか。おもわず目をそらせてしまうようなバケモノをアピールすればするほど、国民の心が万博から離れていくことが本当にわからないのだろうか。当然のことと思うのだが・・・。側近の誰かが、教えてあげたほうがよい。

 パビリオンの数は約20か国減り、メインの「空飛ぶ車」も怪しくなり、予算だけが当初から大幅に増えていく中、ミャクミャクでさらに民衆の心を離れさせようとする。まずは、政治家や高齢の運営担当者たちの「おじさん感覚」を排除する(内容に関わらない)ところからのスタートであろう。以前にも書いたが、キャラクターを今すぐ変え、大阪万博のテーマや趣旨、規模、内容を根本から変えて、低予算のコンパクトで質の高い心に残る素敵な博覧会に期待したいものである。

 研究能力が劣り、学生達からの評判も悪い大学教授は、学生たちの単位を落とすことで自己の株をあげようとする(能力が高くて、厳しく優れた教員のように見せたがる)。特に三流大学の通信課程担当の教授は、手が付けられない。

 アナウンサーが、活動休止中の「嵐」を、解散と報道して謝罪した。

 活動について、「休止」と「解散ー再結成」では何が違うのだろうか。

「スマップ」メンバーもそうであったが、ネームバリュをとことん利用する恥ずかしい魂胆、プライドの無さが、私はとても嫌いである。

 リーダーを向かい入れての再活動は、他のメンバーと差がさらについたリーダーに、これまで以上の苦しみを与えることにしかならない。年齢も高くなり、若者向けの曲を歌ったりすることもなく、「嵐」というグループの存在意義も薄れる。私は、今後「嵐」としての再活動はないと考える。近々活動再開の見通しもなく、将来的にも無いのであれば「解散」が適切であり、潔く堂々としていて好感が持てる。

 土曜日朝の「旅サラダ」で、VTRで紹介された食事などがスタジオで出演者たちに出された時、司会の神田正輝氏は、いつも一人で黙々と食べて完食する。

 神田氏は、なぜスタジオで出演者に出されるのか目的は何だと理解しているのだろうか。視聴者に普通の食事姿を見せて、何をしたいのだろうか。一口食べ、視聴者も共感してうれしくなるような感想を一言伝えてもらえれば、それでよい。共演者の勝俣氏も毎回その点を一生懸命フォローしている。ということは、勝俣氏も他の共演者も(スタッフも?)、みな私と同じく思っているのだろう。芸能人特有の「傷のなめ合い」の姿を毎回実際に見せつけられるのも不愉快になる。

 あの場は、出演者の食事時間、食堂ではない。視聴者のために作る番組であろう。

 元TBSアナウンサーの国山ハセン氏が、「会社にいた頃は、やる気のない優秀な先輩もいましたけど。そういう人たちと仕事がするのがイヤで退社しましたから」と、退社理由を告白した。私の彼に対する印象は、「大学生のような元気な人」だろうか。

 私は、やる気があろうとなかろうと、結果がすべてだと思っている。例えば、やる気(落ち着きがなく、軽く、自己主張が強い感じ?)がなくても、アナウンサーとして平凡なつまらない人ではなく、偏った自分の意見などを主張せずに公平公正で、朗らかさや優しさなどが伝わるような人であれば、それで良い。ハンセン氏は、どれか当てはまるだろうか。

 そもそも「やる気」があるなしに客観性はなく、自分の張り切り度を基準に他人を評価しているに過ぎない。「やる気」や「一生懸命頑張ってきた(悪いことをした政治家がよく使って自己弁護する)」といったたぐいの話は、能力の無い人がそれを隠すために使う言葉だと私は思っている。

 このことは教員の世界にも当てはまる。体育系の張り切り教員は、周囲から「できる人だ」との評価を受けやすく、学校全体がその教員の誤った方針に引っ張られてしまうこともよくある(「豚のPちゃんと32人の小学生」などがよい例。これは、小学校で豚に名前を付けて可愛がって育て、最後は子供たちの目の前で、食肉センターに送るという児童虐待の話で、この教師や校長はいまだ罰せられていない)。主幹教諭や指導主事、教頭などに早く取り立てられる傾向もある。しかし若い張り切り教員は多種多様で豊富な経験がなく、部下の一般教員に間違った指導をしたりやお局教員の手下となることが多い。その犠牲で病気になった教員も結構いる。そして、能力のない教員たちが残り、ベテランの素晴らしい教員たちが辞職していく。皮肉なことである。

 外見的な「やる気」によってだまされる人は結構いる。それはどうでもよいが、そのような人と実際一緒に働く能力のある人々は、本当に迷惑なのである。

 

 北海道の教師が、習字の授業中、指導に従わない男子児童の頭を文鎮で痛みを感じる程度の強さで突き、減給2か月となった。男子児童にケガは無しとのこと。

「痛みを感じる程度」って・・・。ひどすぎる。今回のことから学んだこの子と両親は、将来とんでもない若者と中年になっていくと思う。

 こんなのは教育ではない。

 

追記:わかりにくい内容の記事になってしまい、申し訳ございませんでした。「保健室で手当てを受けた」や「痛かった」ではなく、「痛みを感じる程度」であれば鉄の文鎮が触れる程度であったと推察されます。それが、このような大きなニュースになるということは、子供が不正確に親に伝え、親がモンスターと化し、それを受け入れて謝罪する学校や教育委員会、そしてマスコミや世間の反応はこれでよいのかという疑問を持ちました。今回のなりゆきで、この子や親は自信をつけ、さらにモンスターと化し、子供が16歳以上になり、親が中年くらいになったら、社会のものすごい厄介者になりそうに感じた次第です。皆でこの子(と親)に対し、間違った教育(対応)をしたのだと思っています。

 大谷選手の記者会見を受け、弁護士の菊間千乃氏が、「嘘をついているようには見えなかった」、「ものすごく緊張した中でお話ししているなという印象を受けました」などとコメントをしていた。

 一個人の単なる感覚を全国に伝え世論作りをする人として、法律のみに詳しい「弁護士」である必要性や適切性があるのだろうか。弁護士資格を取っていない「元局アナ」の肩書だけでできる仕事であろう。

 彼女は、困っている人の役に立ちたいと思い始めて弁護士を目指したという。テレビに出て無責任に自分の感想を垂れ流すのではなく、弁護士事務所において社会の中で困っている人のために身に付けた法律の知識を使って働いたほうが彼女の夢にかなうと思う。

 弁護士をやっている目的が、「困っている人のため」から「簡単にお金を稼ぐため」に変わってしまったのだろうか。

 ネットニュースの投稿欄には、「他人に不快感を与える投稿をしないように十分に注意してください」などといった注意書きがある。

 しかし、そんなことは無理だろう。いろいろな人がいるのだから。これが理想なのであれば、ネットニュースは不要ということになる。実際、ネットで知ったニュースを知らなかったとしても、何ら実害が生じることはない。そうであれば、ネットニュースこそ国民同士の衝突を無責任にあおって喜んでいる存在なのかもしれない。

 関西万博の公式キャラクターである「ミャクミャク」は、妖怪のように目がたくさんあって、大人が見れば気持ちが悪いと思うだろうし、子供が見たら怖くて泣いてしまうだろう。名前も異様だ。

 なぜ、万博キャラクターをこれにしたのだろうか。おそらく昭和の親父たち(政治家たち)が、世間の反応などをまったく考えずに自分の感覚や願いのみで考え出したか、採用してしまったように思う。東京五輪開会式での魅力も盛り上がりもない大工パフォーマンスが思い出される(ある一人の政治家の希望でやることになった)。

 この「ミャクミャク」も、関西万博が盛り上がらない一因ではないだろうか。いずれにせよ、このバケモノのような姿は、誰が見ても本心では気持ちが悪いと思うだろう。今からでもよいから全く別のキャラクターに変えてもらいたい。

 TBSドラマの「さよならマエストロ」が、昨日最終回を迎えた。

 俊平(西島秀俊)と志帆(石田ゆり子)が、離婚する流れだった。

 離婚させることに、ドラマとして何の意味があるのだろうか。家族の皆の状況や関係が改善したので、最後は離婚話がなくなってハッピーエンドで終われば、視聴者はうれしく満足して終われたのに。「なんで?」と思わせるような離婚に、私の頭の中は「?」でいっぱいだ。