コロナ禍での面会制限とその対応〜がんセンターでの場合 | りぼんの日記

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ある日夫が突然失踪。その原因は脳腫瘍(悪性リンパ腫)でした。わずか2ヶ月の闘病生活を経て2022年9月10日53歳でこの世を去りました。夫の闘病の記録と残された私と3人の娘の今を綴っていきます。


夫の闘病記を書くために

始めたブログでしたが
夫が急逝した為

闘病記を書けなくなっていました。



夫の死から半年以上が過ぎ

私の心の整理をつける為

夫の闘病の記録を残す為

少しずつ記録しようと思います。


思い出すのが辛い事もあり

日によって思い出す事も異なるため

順を追って毎日書く事ができません。

今後は不定期にアップしていきますので

気長に読んでいただけると幸いです。



また、アップ後に修正、加筆する事が
あります。
ご了承ください。





夫が抗がん剤治療の為に

がんセンターに転院した頃は

コロナの第6波が落ち着いていた時だったので

面会が可能だった。




1人の患者につき1日1人だけ15分のみ

という制限付きで面会可能。

ただし、10歳以下の子どもは面会不可だった。




がんの専門病院でもあるため

病院内で小さな子ども連れの人は

全く見たことがなかった。




うちの三女は当時12歳の小6。

面会は可能だったが、親の付き添いは不可で

病棟の入口まで親と一緒に来て

子どもが1人で病棟に入って面会するなら

OKと言われた。

本人に面会に行くかどうか聞いてみたが

絶賛思春期中で繊細な三女は

「よう行かん…」と

言ったので面会はしなかった。




その頃は家族の誰かが毎日面会に行った。

1人15分とのことだったが

きっちり15分という訳でもなく

15分過ぎてもわりと大目に見てくれていた。

この頃の夫は

病状もメンタルも1番落ち着いており

看護師さんからも

「来た時より随分と落ち着きましたよ。」

と言ってもらっていた。

夫もリハビリのスタッフさんに

「今までこんなに休んだことがないねん」

などとおしゃべりしていた。




この頃は携帯も持たせてもらっていたので

1人の時は私、義母、次女にしょっ中電話をして

色んな事を訴えていた。

(それ以外の連絡先は機種変更した時に手違いで消去してしまったらしい。脳腫瘍になってからは昼夜問わず電話するため、消してくれてて良かったと思った。)




だが、頭痛を訴えて救急車を呼んでしまったという出来事があってからは

持たせてもらえなくなった。




その時のことはこちら






その後

7月下旬から

コロナの第7波で患者が増加したことを受けて

面会が禁止になってしまった。




携帯もなく

面会もなくなり

家族と繋がる手段を断たれて

孤独になってしまった夫。




見当識障がいと認知機能低下のために

病識もなく、どこにいるかも分からない

スタッフの顔も名前も覚えられない夫にとって

病院はさぞかし居心地が悪かったことだろう。




記憶が曖昧であることに

不安と恐怖を感じながら

1人で闘うがん治療は

夫にとってとても辛くて淋しかったことだろう。




コロナ禍での入院でなければ

なんらかの方法で家族と繋がる手段があれば

夫は強制退院にならなくて済んだのではないか

もっとしっかり抗がん剤治療が出来て

延命出来たのではないか

そう思わずにはいられません。