りぼんの日記

りぼんの日記

ある日夫が突然失踪。その原因は脳腫瘍(悪性リンパ腫)でした。わずか2ヶ月の闘病生活を経て2022年9月10日53歳でこの世を去りました。夫の闘病の記録と残された私と3人の娘の今を綴っていきます。

夫が亡くなった後

激しく後悔の念に苛まれたことのひとつに

3人の娘に

夫の看取りをさせてあげられなかったという

ことがあった。



夫が余命宣告を受けた時から

看取るのは家族みんなですることだと

それが当たり前だと思っていた。



看取りたい

看取りたくない

という個々の意思に関わらず

家族なら当たり前で当然のことだと

何の疑いもなく

そう思っていた。



だが

実際は

三女はコロナの療養期間中で病院に入れず

その三女と家で留守番をしてくれていた長女を

1人だけ呼び寄せる事が出来ず

次女は夫が急変したときには

夜行バスの中にいて呼び戻す事が出来ず

短い時間の中で色々考えを巡らせた結果

私と義母と義姉の3人で夫を看取った。



この時は

どう考えても物理的にどうしようもなかった

ということは重々理解できているつもりでも

その全てを

自分のせいだと思い込み

酷い罪悪感と後悔の念に苛まれて

苦しんでいた。



夫の死後

四十九日が過ぎた頃

初めてグリーフの分かち合いに行った時

その事を話した。



その時同じグループにいた1人の女性に

「私だったら大事な人を看取るなんて

そんな辛い事、子どもにはさせない。

させなくていいと思う。」

と言われた。



私はひどくショックを受けた。



グリーフの分かち合いで

他者の話したことに

批判、意見、アドバイスを述べないというのは

どこでも共通した約束事となっている。



その場にいたファシリテーターは

その発言に関して何も言ってはくれなかった。



私はひどくショックを受けて

それ以降その分かち合いには行けれなくなった。




私が当たり前だと思っていたことは

間違いだったのか?

子どもに看取りをさせることは

そんなに酷いことなのか?



その後何ヶ月もずっと考え込んだ。



その女性は

パートナーを闘病の末に

看取った人だったが

そのパートナーとの間に

子どもがいない人だった。



それぞれに家族構成や家族の事情があるので

大事な人の看取り方もその考え方も

色々違って当然である。



それを軽々しく口にされたことは

心外ではあったが

色々と考える機会をいただいたことは

良かったと思っている。



私は3人の娘に

万が一の看取りの時はどうしたいのか?

は聞けれなかった。



いつどうなるかも分からない短い闘病生活の中で

ゆっくり話し合う時間も

心の余裕も

その時の私にはなかった。



家族で看取るのが当然だ

と思っていたこともあって

そもそも子どもに意思を聞こうという

考えにも至らなかった。



でも夫の闘病中

引っかかっていた事があった。



それは家族のグループLINEで

夫の病状と今後の事をみんなで共有しようと

夫の病状説明の度にグループLINEを入れていたら

当時小6だった三女から

「難しい話は分からないから

私には説明はいらない」

と言われてしまったこと。


長女から

「私はパパの変わり果てた姿を見るのが辛いから

これ以上付き添えない」


と言われたことだった。



私は妻だから

パパは自分の夫だから

最期まで看取る

という覚悟が出来ていたが


長女と三女は父親の病の現実を

その時は受け入れ難かったのだろう…



そして

最期を看取ることにも

看取らないことにも

選択の自由があっていいのだろう


と今の私は思う。



夫を看取ってみてはじめて

看取るということの

とてつもない恐怖と

とてつもない重さを

体験したことで



大人でもこれだけ強烈な体験だったのに

幼い子どもにとっては

どれだけの負担がかかることだろうと

慮らずにはいられない

ことであると私は思った。



夫の死後数ヶ月経って

悲しんでいる私に

次女が

「パパは子どもに自分の最期を見せたくなかった

んだと思う。じゃなかったら自分がたった一度だけ県外に出た日に亡くなったりしない。」

と言ってくれた言葉に心から納得出来た。




だから

大切な人の命を

看取るか

看取らないかは

例え3歳の子であろうとも

15歳の子であろうと


その子がその時の等身大の自分で

選択したことならば

それを尊重してあげればいいのだと思う。



私は子ども達の意思を

聞いてあげられなかったことは

心残りではあるし

夫の臨終に立ちあわせてあげられなかったが

それはそれで良かったのではないかと

今は思っている。




これはあくまでも私の個人的な意見です。