外来通院と飲酒のこと | りぼんの日記

りぼんの日記

ある日夫が突然失踪。その原因は脳腫瘍(悪性リンパ腫)でした。わずか2ヶ月の闘病生活を経て2022年9月10日53歳でこの世を去りました。夫の闘病の記録と残された私と3人の娘の今を綴っていきます。


夫の闘病記を書くために

始めたブログでしたが
夫が急逝した為

闘病記を書けなくなっていました。



夫の死から半年が過ぎ

私の心の整理をつける為

夫の闘病の記録を残す為

少しずつ記録しようと思います。


思い出すのが辛い事もあり

日によって思い出す事も異なるため

順を追って毎日書く事ができません。

今後は不定期にアップしていきますので

気長に読んでいただけると幸いです。



また、アップ後に修正、加筆する事が
あります。
ご了承ください。




2022.8.15



退院して初めての外来受診

採血、CT、MRIなど一通りの検査を受けて診察。



腫瘍の大きさはさほど変わらず

抗がん剤治療後の大きな副作用は見られず

採血の結果も特に大きな変化はなし。



今後、副作用で白血球の数値が下がって

くると思われるので変化があれば

対処するとのこと。



経過が良ければ

服用するタイプの抗がん剤の開始を検討する

とのこと。



夫は身体を動かすのはダルそうにしているものの

食欲もあり、

ゆっくりではあるが歩行もしっかりしていた。

元々病院嫌いな人なので

治療にはあまり前向きではないものの

通院中は大人しくしていた。



自宅では

昼間は本当に大人しくて

何をするでもなく、

TVを見るとか本を見るとか

そういう意欲も皆無で何もしたがらず

ほとんど寝ていた。

子どもたちも昼間は仕事や競技の練習で

ほとんどおらず私と2人だった。



お腹がすくと

「腹減った」とご飯を要求して

夕方になると

「晩酌をしたい」と言い始める。

見当識障がいで曜日も日にちも時間も

分からないのに

晩酌だけはきっちり夕方から要求するのは

身体に染み込んでいるのか?


ここまでくるとえらいもんだなあ

と感心する。



夫はお酒もタバコも呑む人だったが

病気発覚後、

すっかり忘れたようになっていたので

このまま忘れてくれれば…

と密かに思っていたがお酒は要求した。



タバコちょうだいはなくなるまで

一言も言わなかった。



夫は

元々子どもみたいな人だったけど

病気になってから

ますます子どもみたいになっちゃって

これまで沢山ムカつくことがあったのに

なぜか憎めなくなっていた。



夜になると子どもたちが帰って来て

話しかけるが

応じる時と素っ気ない時があって

そこはいつもとあまり変わらない。

時折楽しそうに笑っていることもあり

そんな時は「ああ、良かったな。」

と思っていた。



毎日毎日お酒を要求するので

義姉も

「可哀想やしもう呑ましたったら

ええんちゃう⁈」

と言うので少量ずつ飲ませることにした。



私は今後抗がん剤治療をする可能性が

残っていたので

本当は呑ませたくなかった。



夫はお酒が大好きで

休肝日なんて全くない人だった。

その為若い頃から肝臓の数値が悪くて

心配だったが

断酒なんて到底無理だと分かってからは

私ももう言わなくなった。

「好きなだけ飲んであの世へ行けばいい」

そう思って腹を括っていたが

抗がん剤治療を始める時

肝臓も腎臓も悪くなってると知り

治療の間だけでも何とかお酒をやめて欲しい

と思って家にあったお酒は処分した。



入院中もお見舞いに行く時に

「なんかいるもんある?」と聞くと

「お酒持って来て」と言って

看護師さんに

「病院でお酒はあかんよ!」

と言われていた。



入院中は病院のスタッフに

お酒を要求する事はなかったようで

忘れていたのか?

言い出せなかったのか?

私はよく我慢出来ているな…

と思っていた。


いつかお酒ちょうだいって

暴れるんじゃないか?

と内心ドキドキしていたぐらいだった。



病気が分かってから

一滴も飲まなかったことで

肝臓も腎臓も改善傾向が見られ

最初は慎重に少量から投与した抗がん剤が

増量出来るようになったこともあって

飲ませたくなかったのだ。



結局こちらが根負けして呑ませてしまったが

頭痛と嘔吐で食べれなくなる前日まで

晩酌できたので

今となってはそれで良かったのかも知れない。