心療内科で言われたこと | りぼんの日記

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ある日夫が突然失踪。その原因は脳腫瘍(悪性リンパ腫)でした。わずか2ヶ月の闘病生活を経て2022年9月10日53歳でこの世を去りました。夫の闘病の記録と残された私と3人の娘の今を綴っていきます。

夫が亡くなって2〜3ヶ月経った頃


月イチ通院している心療内科を

受診した時のことです。



医師

「最近はどうですか?」


私「とってもしんどいです。」


医師

「何がしんどいの?」


「夫が病気になったことも、夫の死も受け入れられなくて毎日辛くて生活がままならないです。」



医師

「そんな事を言ってたら子どもに悪影響が及ぶでしょ⁈そんなことでどうするの?」



「・・・・」



心療内科医の言葉に

ショックで何も返せませんでした。



心療内科医ならグリーフを分かってくれると

思って話したのに…



悪影響だって

そんなこと分かってます。



だから子どもの前では泣かないように

弱音や愚痴を吐かないようにしているのに

頑張って頑張って生きているのに



それでも大事な人を亡くしたということは

どうしようもなく辛いことなんです。



医師だから敢えてハッパをかける意味で

言ったのかもしれないけど



その時の私にはものすごく冷たく非情で

残酷な言葉に聞こえました。



医師とはいえ

人としてその言葉を発するのはどうなのか?

という思いを拭い去ることは

出来ませんでした。



その日は傷心で落ち込んで

黙って帰宅しました。



その日から毎日毎日

その言葉が頭から離れず

悲しくて辛くて悔しくて腹が立って

どうしようもありませんでした。



次の診察日が来る数日前から


グリーフが分からない人には

何も話したくない!


この先生には絶対に何も話さない!


そう心に決めて受診しました。



そして

医師に「どうですか?」と聞かれた時


「先生には何も話したくありません」

と言いました。



医師は特に無反応で

「では見守っておきますね。

顔だけでも見せに来てください。」

と言いました。



病院に行きたくない!

あの先生に会いたくない!

病院変わりたい。


何度も思いました。



他の人からも病院変えたら?

と言われましたが

その時の私は

新しい病院を探す気力もエネルギーも

ありませんでした。



三女も同じ病院で診てもらっていたこともあり

しばらく様子を見ていましたが、

その後もたくさん思うところがあり

今月、三女を別の病院に変えました。



そちらの病院は子どもに対してもきちんと

接してくれます。



こんなに対応が違うんだ…


そう思いました。



三女の受診が軌道に乗ったら

私も受診先を変えよう…



そう思っています。